SpursLRのブログ

サンアントニオスパーズやNBAの事を書いています。

ロニー・ウォーカー 4世の性格や生い立ち

スパーズのルーキー、Lonnie Walker Ⅳについて書かれた、The RINGER誌のパオロ・ウゲッティ記者の記事を和訳しました。

少し長く(1万字あります)、英語が苦手なので読みづらいところもあるかとは思いますが、自分なりの解釈でまとめました。残念ながら今シーズンはあまり出場する機会はないと思いますが、NBAという舞台で活躍してくれる日は近いと思います。

スパーズにとってどれだけ彼がドラフトスティールだったかをまた書いてみようと思います。

 

ではどうぞ。

 

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Lonnie Walker Ⅳ Is Out of This World

 

NBAドラフトでもっとも魅力的な一人である彼は、同時にもっとも探究心に富んでいる。マイアミ大学の目立ったフレッシュマンは、自分と接した人たちに周りの世界のことを少しだけ深く考えさせる。そして彼は、あなたの近くのフランチャイズにもそれを持ち込むだろう。

 

Lonnie Walker Ⅳはあなたに、心を開いて柔軟な発想をして欲しいと願っている。私たちが知ることのないような広大で深い海について、あなたが最後に考えたのはいつだろうか? 科学者が唱える、人間の新しい臓器の発見についてはどうだろう?

ウォーカーはこれらのことを人々に考えて欲しいと願っている。

 

6月のある朝のことだったが、カリフォルニアのThousand Oaksで行ったプライベートの練習の後、折りたたみ椅子にのけぞってメディアから質問を受けるために座っていたウォーカーは、シューズの下から彼の王冠のような髪の毛の先まで、とても生き生きとして幸せに過ごした時間があった。その幸せそうな時間が訪れた理由は、彼が大好きなアニマルプラネット(動物に関連する番組を提供するテレビ)に関する質問を受けたからだった。彼はエコロジストとして、心理学者として、そしてNBAで将来有望な人間として、全ての素質を兼ね備えている稀有な人材なのだ。

 

木曜日に行われたNBAドラフト前には、ロニーは6 ft 4.5 in、192 lbの体格、爆発的な身体能力、滑らかなプルアップシュート、そして様々なポジションを守るのに有利な6 ft 10 inのウィングスパンを評価されていた。Activeな体に、Hyper Activeな精神を持ち合わせていた。

 

“バスケットボールをプレイするときは、独創的に物事を考える。”  ロニーは自分のことをオタクや変人のようだ、と語った。“みんなが見ているものから色んな事を学びたいという気持ちがある。あらゆる物から学ぶ時、自分がスポンジのようであれば成長することができる。”

 

彼の興味の対象は偏ることがない。それはロニーによれば、いろんなものが混ざり合い一緒になって、結果として1つの物として見えるに過ぎないから、だそうだ。プラネットアース(自然ドキュメンタリーシリーズ)の古いテープは、アレン・アイバーソンのAnd1ストリートツアービデオと同じくらい彼にとって大事なもので、彼はそれを観ながら育ってきた。彼はフランス領ポリネシアの滝のことや遠く離れた地域のエコシステムについて研究したこともある。彼の好奇心はあらゆるところまで広がっている。

 

“自由に流れているようなイメージ。一つのことに固執していないんだ。” とロニーは自分のプレイについて語っている。“人とは異なり卓越した方法を常にプレイや試合で探している。最後にディフェンダーのつま先が自分のつま先よりも後ろにあることを確認するのは、いつも同じだけれどね。”

 

ウォーカーは普通のone-and-doneプレイヤーでも、単なるシューティングガードでも、典型的な19歳でもない。彼は常識に常に疑問をなげかけ、あらゆることを考察する。だけれども、そんな彼にも一つだけ、5,6歳の頃から彼の中で確信していることがあるそうだ。

“自分は将来のNBAスター、しかもフランチャイズプレイヤーになれる。自信を持って言えるね。” 彼はそう宣言した。

“Why not?”

 

 

 

ジム・ララナガ(Jim Larranaga : スペイン表記が難しいのでこう表記します) はjaguar に夢中になっていた。車ではなく、動物のjaguarだ。2015年の7月から8月にかけて、マイアミ大学のヘッドコーチであるララナガが、リクルートの一環としてロニーと電話をしていた時の話だ。

 

“さっきテレビショーを見ていたんだ。ジャガーがダチョウを追いかけていたんだが、ジャガーはダチョウに比べて小さく、一匹で押し倒せることができなかったんだよ。明らかにヤツには助けがいる状況だった。”

 

そのコーチの話に、ウォーカーは驚くことなく答えた。“ああ、ちょうど自分も見ていたよ、あれはすごかった。” そしてこうも言った。“ダチョウは速いしでかい、もしヤツらに蹴られでもしたら、簡単にあなたは死んでしまうだろうね。”

これはウォーカーがCoral Gables (マイアミ大学の所在地) に住み始める前の会話の内容だ。もちろん二人ともそれがリクルートの大事な期間であることを忘れていたわけではない。彼らはバスケットボールという理由でお互いを必要としたが、彼らの中でそれは最小のものに過ぎなかった。ララナガはウォーカーのこの考え方を賞賛している。“とても素晴らしいことだ。我々がとても気を使うのはバランスを取ること。あなたも人生においてバランスを取りたいと感じるだろう。ロニーは本当に均整で多才な人間だ。ほとんどの人は、バスケットボールに関する話ばかりをしたがる。けれど彼は、比較的多様な人格と知的好奇心を備えている。”

 

そんな中でも、コーチたちはどうしてウォーカーに惹かれていたのかを決して忘れることはなかった。マイアミ大学のアシスタントコーチの一人であるアダム・フィッシャー(Adam Fisher) はウォーカーにずっと目をつけているうちの一人だった。それは彼がロニーと同じくペンシルバニア出身だったからだ(ロニーはペンシルバニア州内のあまり治安が良くない地域であるレディングの出身で、フィラデルフィア等が同州内)。フィッシャーはリクルート期間中、ヘッドコーチのララナガに、どうか彼が高校でプレイしている姿を見て欲しい、彼にもリクルートの門戸を開いてくれないか、と話した。それを聞き入れたララナガはロニーが高校2年のシーズンに彼を観に行き、そしてすぐに虜になった。

 

“彼がコートを走っている時、それはまるでウサイン・ボルトが走っているようだった。彼は、100ヤードのスプリントですら舞うように走るんだ。”  ララナガはそう話す。“彼は天性的にその能力を持っていた。彼は早く動けるし、ジャンプ力も素晴らしい、優雅で、とてもアスレチックだ。彼のポジションはNBAではただのSGだろうが、経験さえもらえればポイントガードもすぐにこなせるだろう。”

 

5月のドラフトコンバインは、NBAの球団が初めてドラフト候補の選手たちの驚異的な身体能力を直に見ることができる。もちろん、ロニーも、そのコンバインでどうにか目立つ結果を出そうと奮闘していた。そんな中、報道陣からのインタビュー中のことだったが、ロニーは彼らからカイリー・アーヴィングの「地球は平ら」理論について質問を受けた。インタビュー自体は気楽な感じで、それまでは報道陣からくる質問を端的に打ち返していたロニーだったが、その質問を受けた時だけ、身構えるようにしてこう答えた。“地球は平らではないよ、僕の考えではね。” ロニーの発言は報道陣を驚かせた。“けど地球は、僕が密かに考えているのは、地球は完全に虚像でできているんだ。僕の密かな意見だよ。” その前年に科学者たちが、地球は虚像的に存在している可能性がある、と報告したばかりだった。

 

その様子を遠くで見ていたロニーの高校のコーチであるリック・ペレス(Rick Porez) は、高校の最終学年にチームを州立タイトルに導いた元教え子を見ながら一人だけ笑っていた (ロニーは高校の117年の歴史の中で、初めてチームを州選手権に導いた)  。この出来事はいたって普通のことで、驚くことではなかった。“これが、これこそがロニーなんだよ。” 彼はそう語っていた。“できることなら、コンバインの間中、座って彼のことを見ていると良いよ。その19歳はすでにNBAにいく準備ができているし、それこそがロニーなんだ。会話はいつの間にかロニーが話したい内容にどんどん変わっていくだろうけどね。”

 

2016年、NASAが地球の周りを回っている新たな小惑星を発見したと発表した。1世紀以上も前から存在していたとされていて、つまるところ、我々にとってそれは月が二つあるようなものだ。ロニーはこのことについて自発的に発言をしていて、「人々が驚くような新しいことは毎日見つかっている」、という意見を述べていた。慣習や常識は常に変わっていくものだ。“我々は長く生き、共に毎日過ごしているから、何かしらの発見はある。そんなことは身の回りに溢れているし、全部把握するのは無理だよ。今ここにあるものはなんなのか、あなたは一体誰なのか、そんなことすら死ぬまでに理解するのは到底無理だろうね。”  ロニーはそう述べていた。ロニーの知的好奇心は周りの人たちにも感染するようだ。彼が自分から自分の固定観念に向かって挑戦していく姿勢は周りの人たちにも伝わっていく。彼はいつも科学者の役割と重大な発見や知見がどのように得られるのかについて話す。時々ではあるものの、周りにいる彼らはロニーの質問に的確に答えるようになった。

 

 

Lonnie Walker Ⅳのことを知ろうと思うなら、まずは1つ前のLonnie Walkerのことについて知るべきであろう。ウォーカー三世は、ロニーの子供部屋を絵画や楽器のような独創的な物で埋め尽くしていた。それと一つのバスケットボール。ウォーカー三世は以前読んだ本から、子供の部屋に置かれたクリエイティブな物が子供の運命を導くということを学んでいた。

 

けれども、ウォーカー三世は他に密かに抱いていた考えがあって、結果的にそれが自分の子供をその方向へ導いた。

年長者というのは、バスケットボールを知識と情熱でプレイするものだ。ウォーカー三世はアルバーニア大学で以前プレイしていて、大学の歴史上、1,000得点1,000リバウンドを達成した初めての選手だった。2010年に、彼は大学の殿堂入りを果たしている。

 

しかし、ウォーカー三世はニュージャージー短期大学からアルバーニア大学への転校を経験しており、その関係で資格を一つも得ることができなかった。それが理由で彼はホームレスとして生活していた時期もあった。しかし彼は諦めず、自分のバスケットボール選手としてのキャリアの追求をやめなかった。そんな中、ロニーが1998年に生まれてから、優先すべきことが変わった。どうにか自分のバスケットボールキャリアを追い求めながら、ロニーが3歳の時にはシングルファザーになりながら、料理人やTシャツ、サングラスを売る仕事など、様々な仕事をこなした。同時にロニーを、フィラデルフィア近郊で開催されたサマーリーグに連れて行ったりもした。

 

“私たちは常にバスケットに囲まれていた。毎日、息をするときも眠るときも、ご飯を食べるときさえもバスケットボールのことばかりだった。”  ウォーカー三世はそう語っていた。

 

必然的にロニーは、バスケットボールと友達になった。文字通りだ。彼が5歳のとき、彼はどこにいくにもボールを持ち歩いていて、彼は本当にボールを「友達」だと言っていた。

この同時期に、ロニーはフィラデルフィア動物園や祖父母が住むアトランタジョージア水族館へよく旅行した。“あそこはアメリカの中で最高の水族館だよ、” ロニーはそう語ってくれた。初めて行った時から大好きだそうだ。“そこでは、ありのままの厳しい地球や世界、動物を知ることができる。行くのをやめられない、もう依存症になっているんだ。”

 

これこそが、ウォーカー三世がロニーに望んでいたことだった。

人生の何に重きをおくか、考え方はもちろん、実際に自分で考えることができる能力。ロニーが8歳でAAU circuitに参加したときも決して楽な暮らしではなかったが、それでもウォーカー三世は、彼の為に読むべき本を与え、クラシックの素晴らしい音楽を演奏して聴かせ、それらの習慣を教え込んだ。そしてなによりバスケットボールは、生きる目的であり、安全でいられる為に何より大切なことだった。周りにはドラッグや殺人事件が蔓延していて、ロニーが大きくなるまでに友達が1人殺された悲惨な事件もあった。

 

“統計的に言えば、ロニーがインナーシティ(治安の良くない都市部の街) から出て行くのはかなり難しいことだっただろうね。でも、彼は、ロニーは逆境に打ち勝ったんだ。” ウォーカー三世はそう話した。“目的はいつでも、彼の人生をより良いものにしていくことだ。私はいつも彼に、柔軟な発想をするように働きかけていたんだ。そのおかげかどうかは分からないけど、彼が精神的に限界に陥るということは無いんじゃないかな。”

 

根掘り葉掘り聞くことは、ロニーが人生を生きて行く上で大事な装備のような物だ。“彼は面白がってそうしてるわけじゃなくて、子供の時から自分の人生の幅を広げたいというヴィジョンがあったんだよ。偏見を持たずにね。” ウォーカー三世は言った。“何か質問するということは、彼自身しっかり物事を理解しようとする方法なんだよ。” この知的好奇心は、コート上では特別な物になる。自由な発想は彼がフリースタイルに通じたプレイをする理由だ。ボールハンドリングとシューティングは彼が毎日力を入れて取り組んでいるもので、素晴らしいショットクリエイションをできることが、彼が次のレベルに到達するのに必要であると自分で分かっているからだ。ロニーはNBAドラフトエントリーを表明した4月の初め頃にはすでにNBAで通用するようなフィジカルとパワーを身につけていた。まるでiOSをアップデートするように、今までのロニーとは別人になった。バスケットボールが仕事になった今、彼を見れば一目瞭然だろう。

 

“マイアミにいた時よりも、優れたプレイヤーになってるよ。怖いくらいね。” ロニーはそう言った。“昔のLonnie Walkerをぶっ壊したい。”

 

世界がどういう役目を持つのか、という課題に対する昔のロニーの意見にも彼はこれから挑戦して行くことだろう。

 

アダム・フィッシャーは2016年の11月、ロニーからの驚きのテキストを受け取った。それはウォーカーがマイアミ大学とサインするちょうど1週間前の出来ことだった。

 

“コーチ、僕はone-and-doneプレイヤーとしてどう思う?”

 

彼らはバスケットボールについて話をすることは稀だし、ロニーからナショナルジオグラフィックのことではなくそのテキストをもらったのは多少なりとも驚いた。けれども、もはやすぐにでもD1でプレイできる事実、そしてそう遠くない将来、プロとしての可能性があることもロニー本人が受け入れていることは明白だった。

 

しかし、去年の三ヶ月間、その可能性の塊である彼は大変な危機に陥った。2017年の8月、木曜日のマイアミ・ハリケーンズの練習中の、たった10秒くらいのことで、ロニーはアウトレットパスをなんとか受け取ろうとした時のことだった。右膝がおかしく曲がってしまい、彼はフロアに倒れ込んだ。マイアミ大のトレーナーであるJavier Jimenezはすぐさまロニーのところへ向かい、フロアの外に連れ出し介抱した。診断結果は明らかだった。半月板断裂。ロニーは3ヶ月バスケットボールをプレイできなかった。

 

“嘘はつかない、本当に塞ぎ込んでたよ。” ロニーは言った。“グランマと話した。1時間くらい話したかな。僕たちは夜になれば祈って、朝もまた一緒に祈った。”

 

ララナガはロニーが今から登らなければならない険しい山のことを心配した。シーズンのtip offに、精神的にも身体的にも出遅れると思ったからだ。一方で、フィッシャーACは彼のモチベーションを上げる方法をとった。彼はロニーに2つの選択を提示した。1つは、怪我に落ち込み、このまま塞ぎ込み続けること。もう1つは、「とある事」を始める良い機会とすることだった。その「とある事」とは、彼が高校まではあまり取り組んでこなかったことで、彼の膝のリハビリの間にするにはちょうど良い事だった。それは「フィルムを見る事」だった。それを受け入れるのはロニーにとって本当に簡単なことだった。なぜならビデオはいつもロニーにこの大きい世界のことを教えてくれるツールだったからだ。この時から、ロニーはフィルムから自分自身のことを多く学ぶようになった。彼らは高校時のフィルムから色々と集め始め、NBA選手のビデオを見ることもあった。

 

“僕らはよくヴィクター・オラディポのプレイを見たよ、彼は自分と似ているところがある。どちらも爆発性のあるガードなんだ。” ロニーはそう言った。“僕らはクレイ・トンプソンと彼のタッチ、彼の身長でシュートするスキルもよく見ていた。C.J.マカラムもよく見た。マイアミ大学が4アウト1インサイドの編成でPick-and-rollから攻める戦術だったから、彼の滑らかな動きや試合での役割は、とても勉強になった。”

 

その怪我は夏の間に起こったことだったので、なんとかプレイできるところまで持っていった。けれども開幕直前の時点では、ロニーはプレイする準備ができているつもりだったが、体はまだ本調子では無いように見えた。ララナガは彼を7 thマンとしてローテーションに入れて、かつ時間も制限してプレイさせた。それにも関わらず、彼が本物のスター選手であることに気付くのにそう時間はかからなかった。実際にACCでの試合が始まると、ロニーはコーチらが期待していた通りの成長をしていないことは明らかだった。なんとコーチの予想など遥かに超えてしまっていたのだ。皆が皆、ロニーの身体能力の高さで彼が目立つことを予期していたが、実際にはそうでなく、彼の攻撃的すぎるくらいの「自信」がリーグを驚かせた。スタッツだけ見るとそうでもないが (一試合あたり13.6 points、2.3 reb、2.3 asists、1.1 steal)、ゲーム終盤に見せる彼の積極性と自信、度胸はスター選手のみが持ち得る素晴らしいものだった。

 

“ロニーは大舞台でシャイになるような人間ではない、真逆だ。” ララナガは語った。“彼は私のコーチ人生の中でも一握りしかいなかったタイプの人間だ。ゲームを勝利に導くショットを驚くくらい自信を持って打つことができるのだ。”

 

1月のルイジビル大学との一戦では、残り5秒以下に迫る場面で、同点に追いつくアクロバティックなレイアップを決めている。さらにその試合のオーバータイムでは、勝利を確実にもたらしたブロックショットを決めた。2月のヴァージニア工科大学戦でロニーは14点をとったが、4Q残り4分以下でそのうちの8点を決め、チームを勝利に導いた。シーズン終盤にもう一度ヴァージニア工科大学と対戦した時にも、残り1分という大場面でベースラインからフェイダウェイジャンパーを決めた。もっとも有名なものは2月の24日、マイアミ大学ボストン大学のゲームだ。実はここ数試合、スターティングPGのブルース・ブラウン (Bruce Brown : 現Pistons) が怪我で離脱していたのだが、それにも関わらず、マークが厳しい中でロニーは決勝点となるフェイダウェイのプルアップスリーを決め、チームを勝利に導いた。 

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Brownが離脱している間、高校の時からチームのリーダーとしてやってきていたロニーは、周りが期待する通りにリーダーとしてチームを引っ張った。マイアミ大学NCAAトーナメントに出場したが、一回戦のロヨラ大学のシンデレラストーリー (注目されていなかったロヲラ大学がFinal 4まで進出し、今大会を代表するMarch Madnessだった) の前に散ってしまった。ロニーは奮闘したが、なんと大事な場面でターンオーバーを犯してしまい、大事なフリースローをミスし、アップセットを許してしまったのだ。彼のこの悔しいカレッジキャリアについて想像するのは容易いことではないだろう。

 

 

 

ペレスは彼を高校の時から全て見ているが、一つも心配ごとは無かった。ペレスは将来のスター選手が 7 th grade (日本の中学1年生) でトーナメントに出ているのを見た時から、どんな時でもロニーが落ち着いていることに気が付いていた。またペレスはロニーが同じミスをもう一度することが滅多にないことにも気が付いた。“ロニーはイライラしたりストレスで参ったりということはないんだ。私がロニーを怒らせようと思ったら本当に骨が折れる作業だろうね。彼はいつも軽く笑いながら言うんだ。‘コーチ、それはそんなに重大なことじゃないよ。…僕ならなんとかできる。’”

 

ロニーのマイアミ・ハリケーンズでのフレッシュマンシーズンは彼の望んだ終わり方では無かったものの、彼がしてきたことの素晴らしさはACC ALL-Freshman Team (Marvin Bagley、Wendell Carterに次いで僅差で3位)と、All-ACC team特別賞を受賞したことからも分かるだろう。怪我があって、奮闘しなければならない場面も多く、トーナメントではすぐに姿を消すことになっても、スカウトらの意見・立場は変わる事がなかった。ロニーの一巡目指名評価は変わらなかった。疑い様のないOne-and-doneプレイヤーだ。

 

 

ロニー・ウォーカー三世はThousand Oaksのスポーツアカデミーの観客席に座って、自分の息子が3ポイントシュートを打つのを見ていた。彼の前の列には、髪をいつものようにきちんと整え、コートサイドの折りたたみ椅子に座るパット・ライリーの姿もあった。釘付けになっているように腕を組みコートを見ていた。コートの左の方の一列目には、黒と白のトラックスーツを着たレイカーズマジック・ジョンソン、その隣にはコートを見つめるロブ・ペリンカの姿もあった。ジェリー・ウエストもそこにいた。いつものスーツ姿ではなくナイキの青いジャケットを着て目立っていた。

 

彼らの周りには多くの人間がいた。他のNBAチームのGM、コーチ、エージェント、レポーター、そして140人ほどのスカウトたち。この Pro day で1人の選手が注目を浴びるのはほんの僅かな時間だ。ドラフトのロッタリーから最後の方まで、期待の数だけ選手がいて、皆が皆、誰かの目に止まることを望んでいる。

 

けれども、ウォーカー三世はずっとロニーだけを見ていた。独り言のように自分の息子の workout について話していた。“ロニーは左から行くのが好きなんだ。” ウォーカー三世は言った。“左から攻めれば、ロニーを止めれるヤツはいない。” コートではちょうどロニーが3PTを3本連続で決めていた。

 

ここにいる全ての人間の中で、ウォーカー三世よりもロニーのバスケットを愛している人間はいないだろう。彼はそれを偏見だと認めるだろうし、他の期待のドラフト選手たちに対して称賛もするだろう。けれども彼は、自分の息子がドラフト選手の中でトップレベルのスキルセットを持っていることを豪語するのをやめない。

 

“ヤツは7フッターか?ノーだ。ヤツはハミドゥー・ディアロのように飛ぶことができるか?ノーだ。だがヤツはジャンプショットを決められる、自分のショットを打てる。クラッチタイムで輝くことができるし、ディフェンスもできる。” ウォーカー三世の熱弁はしばらく続いた。冗談交じりでこんなことも言った。

“もしロニーがNo.1ドラフトされなかったときはテーブルごとひっくり返してやる!あんたドラフトは俺らのテーブルを見ててくれ!”

 

残念ながらウォーカー三世にそのチャンスは訪れない見込みだ。それは2018 NBAドラフトが新しいフォーマットに変更になったことに関係する。フェニックスサンズのNo.1セレクトが発表になる前に、green-roomメンバーはステージに登り、全世界に紹介される。その時、Green-roomメンバーたちは家族と共にステージを歩かなくてはならない、つまりウォーカー三世もロニーの後ろからステージを歩くのだ。その瞬間はウォーカー三世にとって大事なことを思い出させる小さなきっかけになるだろう。それは、自分の息子を教え導いてきた過程で何度も経験し、信じてきたことだ。それはマジック・ジョンソンやジェリー・ウエストのようなレジェンド達に会った時に、彼らが、ロニーが如何に素晴らしいか話してくれたこともその経験の一つだ。それはバスケットボールプレイヤーとはまた別の、1人の人間としての素晴らしさだ。大事なのはドラフト順位ではなく、人間としての素晴らしさだということ。それが信条だった。

 

“自分と父は、よくNBAについて冗談混じりで話していた。それは、普段の人が月に立つような感じと同じさ。‘私は月に行くんだ。私が無事たどり着けるよう、精一杯祈っておいてくれ。’” ロニーは言った。“僕らの間ではこうだ、‘NBAに行くのが待ちきれないよ。’…どちらも同じで、口には出すけどそこにたどり着けるのは本当に限られた人間だけだ、と頭では理解している。けど、今。自分が、ここ。月に立ってるようなものだよ。紛れもなく、僕自身がね。”

 

けれども、勇敢な探検家のように、彼はNBAを山の山頂、最終到達地点だとは考えない。むしろ、今まで築き上げてきた自分の知識に基づいて、月並みな方法でこなして行くだろう。自分が開拓した土地に人々が住み始める前にはすでに、ロニーは次のフロンティアのことを考えている。

 

彼の世界に向けた関心、とりわけ発展途上国に対するそれは、決して自己探求心だけではない。ロニーは自分の考えを行動に移したいと思っている。まずは出身地のレディングに本や学校の必需品を子供達に提供し、ゆくゆくは“レブロンのように” 奨学金も始めたい、と話した。アフリカやその他の助けが必要な地域にも範囲を広げていって、水を運び、学校を建て、家、教会も建てたい。“世界を変えたいんだ、どうにかして、何としても。” ロニーは言う。彼の父もそれらの可能性を否定しない。“ロニーが何をしようが、それはゆくゆく人を助けることにつながると思うよ、” そうウォーカー三世は語った。“ロニーは父である自分すらも助けてくれた。ロニーを見てると、素晴らしい人間でいたいと心のそこから思わせてくれるんだ。”

 

そしてついに、ロニーはNBAの世界に足を踏み入れる。けれどもすぐに、第二の月、次の舞台は、すぐそこに迫っているのだ。

 

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以上です!ありがとうございました!