SpursLRのブログ

サンアントニオスパーズやNBAの事を書いています。

ケルドン・ジョンソンはどのような人物か

スパーズのルーキー、ケルドン・ジョンソンについて書かれた、SAENのTom Orsborn記者の記事を和訳しました。

ケルドンがドラフトされた直後に書かれた記事になります。

 

彼の人となりや性格が良く書かれたものになっています。 

 

時間をかけずに訳したので、読みづらい箇所等あるかとは思いますがご容赦ください。

訂正案等、大歓迎です。 

 

 

Spurs’ draft pick Keldon Johnson a ‘really good country kid’

 

 

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Photo: Julio Cortez / Associated Press

 

2017年9月、マサチューセッツ州レキシントンにある上品なレストランでのことだ。

 

ケルドン・ジョンソンはケンタッキー大学の正式なリクルートのためにそこを訪れていて、田舎町で生まれ育った彼は、それに似合った振る舞いをしていた。

 

「彼は ”Country boy(素直な田舎の少年)” なんです。」ケンタッキー大学でアシスタントコーチをしているケニー・ペインは言う。

「この17歳の少年は、両手でステーキをつかんで、それに食らいついた後に、こっちを見てこう言ったんです、「コーチ、このステーキすっごく美味しいよ!」」

 

これがジョンソンの性格だ。見栄を張ることをせず、社交的で自分に忠実なのだ。

 

「ほんとうに”Country kid”という言葉が似合う奴なんです。」ジョンソンの父、クリス・ジョンソンは自分の一番若い息子をそう呼ぶ。「見たまんまの、素直な子です。」

 

スパーズはNBAドラフトの29番目でジョンソンを指名した。6-foot-6のオールラウンダーで、エリートディフェンダーになりうる素質を持ち合わせている。

 

「犬のように追い掛け回すんだ、」ジョンソンは自分の粘り強いディフェンスのことをそう語っていた。ディフェンスが最重要であるという意識をずっと持ち続けている。「コートに居続けたい、試合に勝ちたいからそれを第一にやるんだ。」

 

ジョンソンはアメリカ合衆国バージニア州にあるサウス・ヒルという町の出身だ。その町はノースカロライナ州との州境にあるメクレンブルグ郡に位置していて、人口は5,000人にも満たない。鮮やかな色のビジネスビルと、Tabacco Farm Life Museumがあることで知られている。

 

「町のみんなが全員と知り合いなんだ。」とジョンソンは言う。「例えるなら、一つの大きな家族みたいな感じだね。」

 

ジョンソンはその大家族の中ではとても有名な息子だ。けれどもそれは彼がすぐれたバスケットボールキャリアの持ち主だからではない。

 

「ケルドンは素晴らしい選手だけれど、それ以上に素晴らしい人間なんだよ、」と地元紙であるSouth Hill Enterprize社のスポーツ担当記者であるデニス・スミスは語っている。「今じゃバージニアの南の方に住んでいる人たちの多くはスパーズファンさ。」

 

2歳年上の兄と1歳年下の妹がいるジョンソンについてはっきりしていることは、小さい時からとても社交的な性格だったということだ。

 

「常にすごいエネルギーをもった、元気な子でした、」クリス・ジョンソンは言う。「彼は人々を愛していて、同じくらい人々に注目されるのも愛しています。」

  

この心持ちは、そんな彼の父親がそのような人物だからである。

 

「僕の父は本当に社交的で、人見知りを全くしない人なんだ。僕も同じさ。」ジョンソンは言う。

 

彼はまた、両親の労働的な価値観も受け継いでいる。父親はトラックの運転手で、母親のロシェルは看護師だ。

 

「父は一日中働いているんだ、」ジョンソンは自分の父親についてそう語る。「だいたい朝の2時ごろに起きて、3時ごろにはもう仕事に行くんだよ。」

 

 

ジョンソンのバスケットボールキャリアは、彼が9年生(中学3年生)の時に記録した、1試合平均27点という記録から始まりを告げる。

 

この功績は、ひとえに彼のバスケットボールに対する愛と、彼の才能と同じくらいのハードワークによって成し遂げられたものだ、と当時ジョンソンをコーチしたブライアン・サイクスは語っている。

 

「私がジョンソンの家に行くと、いつも彼はバスケットボールに関するなにかを見ているんです。彼はいつも私に電話してきて、練習場を開けるよう言ってくるんです。日曜の午後だろうが、電話してきてこう言います、「コーチ、練習場開けれる?」と。どんな日だろうが、雨だろうが晴れだろうが構いやしません、彼は練習場にずっと居たがっていました。」

 

そうこうしている間に、ジョンソンの両親は、彼の夢である ”NBAでプレーすること” を確実に達成できるように、目的達成の道のりから彼が逸れないようにし始めた。

 

そのことについてサイクスはこう語っている。

「ケルドンには誘惑ややってみたいことが多くありましたが、両親は決して彼にそれらをさせませんでした。ケルドンが夢を追いかけ始めた最初の時に、彼らはこう言ったんです。「もしあなたがNBAに行きたいのなら、行きたい所があっても我慢をすること、友達でも人によっては距離を取ること。ただひたすら、夢を達成することだけを考えつづける必要がある。」って。良い意味で古風で、素晴らしい人たちなんです。」

 

ケルドンはまた、サイクスからも後押しされていた。

 

サイクスはこう語る。

「ケルドンは私のことを、”track coach(陸上競技コーチ)”と呼ぶんです。私は彼をひたすらトレーニングさせ続けました。彼はいつもこう言っていました、「コーチ、あなたは陸上競技のコーチなんだ、ずっと走らせてウェイトだけをやらせたいんでしょう。」って。けれど努力は報われると信じて、そうさせていました。」

 

高校1年生の時には、オフシーズンに足首の怪我を克服し、チームを州の準々決勝まで導いた。オール・ステイト・ファーストチームにも選出された。

 

そのシーズンが終わってから、国内でトップ15の選手にも選ばれた。AAU circuitにも出場しており、学術的にもレベルが高い、国内レベルで物事を見据えているHuntington Prep in West Virginiaに転校することを決めた。

 

だがHuntingtonには長く居なかった。シニア(高校3年生)シーズンには、バージニアのブルーリッジ山脈にある強豪 Osk Hill Academy に転校する。そこでも彼は ”gym rat” (ジムに通いまくる人)でいつづけた。

 

「彼はしょっちゅう私のオフィスに出入りしていました、」Oak Hill で長い間コーチを務めているスティーブ・スミスが、2018年にケンタッキーのスポーツラジオでそう語っていた。「普通の選手たちはそんなことしたがらない。けれど彼だけはしょっちゅう来て、一日中そこに居ました。彼の親しみやすさや性格は、周りの人たちをとても楽しくさせます。」

 

ジョンソンはまたOak Hill で、思いもよらない友情関係を築き上げることになった。スミスコーチに、ケルドンと”best buds(親友)”とまで呼ばれていた相方は、日本から来ていたShiryu Kataokaという5-foot-4の学生マネージャーだった。

 

(リンク先の記事に二人のエピソードがちょっとだけ載っています。Best budsは、子どもの親友という意味があるらしいです、200cm近いケルドンと160cmちょっとの二人はさながら…間違った解釈でしたらぜひ教えてください!)

 

「ケルドンは遠征先ではいつも彼と同じ部屋になりたがっていました。ほとんどの選手はそんなこと言いません、「マネージャーと同じ部屋にしてくれ」だなんて。」

 

ジョンソンの性格からして、Oak Hillでリーダーになるにはそう時間がかからなかった。

 

「誰かが上手くプレーできなかったり、何かで落ち込んでいたりすると絶対に彼らに声をかけていました。」スミスはそう語っている。

 

2017年の9月に、ジョンソンは2018年のNo.7として、ケンタッキー大学へ進むことを決めた。そこで彼は13.5 pts、5.9 reb、1.6 astを記録し、SEC Freshman of the YearとAll SEC Second Teamに選出された。彼はまた、7回の20 点超え、4回のダブルダブル、そしてシーズン終盤にはオーバーン大学相手に17リバウンドを奪う活躍を見せて、NBA入りのポテンシャルを周りに見せつけた。

 

「カレッジの試合でそれができるペリメーターの選手は多くありません、エネルギーに満ちた、注目度の高い試合で、強敵を相手に、17リバウンドを達成できるのは。」アシスタントコーチのペインは言った。

 

ワイルドキャッツにいる間、ジョンソンはジョン・カリパリに、そして彼のスタッフに、彼が持つスキル以上のもので印象を与えた。それが助けとなり、2019年のNCAAトーナメントでは “Elite Eight” を達成することができた。

 

「彼は失敗に対する ”恐怖” を持っています、私はそれを持っている選手が大好きです。」ペインは続けて言う。

「傲慢で、すごい才能を持った選手というのは、逆境に立たされた時にどうしようもなくなってしまいます。けれども、”恐怖” を持った選手は違います。その時にこう考えるのです。’なにか自分は上手くいっていない、どうにかして良い働きをしよう。このままだとさらに事態が悪化してしまうかも。’ この思考こそが私の好きなものなのです。」

「そのメンタリティがあれば、何をしていても、あなたは前に進むことができます。」

 

 NBAドラフトの夜、大注目のロッタリーピックの場面で、彼のチームメイトであるP.J.ワシントンとタイラー・ヒーローがトップ13で呼ばれたのにも関わらず、ジョンソンだけがずっと座る展開になってしまった。

 

「人々は彼がもっと高い順位で指名されると期待していたと思います、」スパーズGMのR.C.ビュフォードは言う。

「我々は、そのポジションでは彼がベストプレイヤーだと評価していました…たまにこういうことが起こります。特にケンタッキー大学のような、非常に優れたメンバーが揃っていた場合、十分な力があるのにも関わらずあまり目立たないのです。評価が上がらなくなってしまうのです。他の普通の選手と一緒くたにされてしまって、自分ではどうしようもなくなってしまう。今回はケンタッキーから3人も1巡目でドラフトされていて、その可能性は十分にありました。」

 

ドラフト後の土曜日、カリパリは電話会議の中で、ケルドンが29位に落ちたことがいまだに理解できないこと、そしてスパーズが彼をドラフトしたことにぞくぞくしている、と語った。

 

「彼は最終的にサンアントニオに行きました、そこはNBAで最高のチームです。」カリパリはこう語っていた。

「我々は皆、殿堂入りコーチ(ポポヴィッチ)についてよく話をします。スパーズという組織は、なにより、若手の育成に関して信じられないくらい素晴らしい仕事をします。あなたも知っているでしょう、彼らはドラフトで、誰も注目していなかったコロラドの青年(デリック・ホワイト)を見つけ出しました…彼らはまた、大学時代に同じく無名だった(カワイ・)レナードも今のレベルまで引き上げました。彼らは絶対に見逃したりしません。」

 

ペインはドラフトの後、似たようなメッセージをジョンソンに送ったと話した。

「彼には、「ドラフトでは君は中位(10~16位くらい)くらいの実力だろう。けれども、神は違うプランを用意したんだ。」とメッセージしました。そのプランは、彼にとってNBA最高の組織で、最高のコーチがいて、最高のGMがいて、最高の育成プログラムがあるチームに行くことだ、とね」ペインは続けてこう語ってくれた。「彼はスタッツシートを埋めて勝利に貢献できるタイプの選手なんです…毎試合、12~15点を取り、7~8リバウンド、4アシスト、2スティールをコンスタントに記録できる。スパーズのような組織で、そのようなメンタリティをも持ち続ければ、何も心配はいらないんです。」

 

ペインは続ける。

「こうも伝えました。「君はドラフトで10~15位で指名されなかったのかもしれない。けれども最終的に、その方が良い状況になる…なぜなら、(ドラフト順位が下がると)プレイオフチームに行くことができる、それはつまり良いチームだということだ。皆が羨ましがるし、確実にそちらの方が良い。」」

 

ジョンソンはドラフトの会場で、自分の指名順位がどんどん下がるのを見て、「神経がすり潰されそうだった」と語っている。そんな中で記者の 「クリーブランドが26位指名でジョンソンを指名しようとしている」というツイートを見て、ほんとうに狼狽していたらしい。

 

ジョンソンはその時のことをこう語る。

「そのツイートを見て、自分がランドに行くかもしれないと思うと不安で不安で…スパーズのようなしっかりとした組織に行きたい…ひたすら祈り続けてたんだ。」

 

父親のクリスもこう語る。

「(スパーズは)最高の組織です、間違いありません。ポップは彼に、成功するために必要な素晴らしい教育を施すでしょう…私にとって、それだけで十分な理由なんです。一つだけ私にわかっていることは、ケルドンはずっとジムにいつづけるだろうということです。そうしているうちに、すぐにポップと仲良くなるんじゃないかな。」

 

ケルドンはまた、ドラフトされた夜にはすでにスパーズの選手らしい発言をしている。ポップはルーキーをあまり試合に出さないのが通例になっていることについて、自分がそうなっても何も問題ない、良い心構えを保ち続ける、ということを記者に語っていた。

 

「Trust the process.」彼はそう語っていた。「正しいプレーができるなのならそうするし、やりつづけるよ。けれど、彼らが自分を信用するまで1~2年かかって、その間ずっとベンチに座ることになっても、全く気にしないよ。そうなっても文句なんかないし謙虚に努力を続ける。それだけを考える。」

 

これらのことから、ジョンソンの人となりについて次のようなことが言えるだろう:

[ 何があったとしても、彼は自分自身に忠実でいつづける ]

 

 

「ステーキを両手で持ち上げた時、その行動からわかったことは2つあります、」ペインは言う。「1つ、彼は自分に素直でいることを恐れていないこと。2つ、素直で、自分に嘘をつかず、ほんとうに無邪気だからこそ、そういつづけることができる、ということ。」

 

「彼は本当にスパーズの選手らしい人間なんです。彼はまだ若い。これから多くのミスをするでしょう…。けれどもいつの日か、あなたにとってかけがえのない存在になるのは間違いありません。」