ブリン・フォーブスとその家族の物語
2019年の母の日前日に公開された、ブリン・フォーブスとその家族について書かれた記事の翻訳記事です。
いつか全訳しようと思っていたので、無事やり終えることができて安心しています。
バックスからの良い契約をもらえてよかったと思います。
Spurs’ forbes receives huge assist from mother
Tom Orsborn | May 11, 2019
このシーズン(2018-2019シーズン)のスパーズでは、試合前の選手たちの議論は白熱することが多かった。
フレンドリーマナーとして、クインシー・ポンデクスターが52歳になるボクシングの伝説マイク・タイソンと1ラウンド打ちきることができるかどうか、というものから、カボチャやサツマイモのパイをホリデーデザートとして提供すべきかどうかまで、徹底的に話し合う。
シーズンの終盤、スパーズの選手たちのなかで、自分が子どもの頃のバスケットボールヒーローが誰だったのかの話になった。当然のこととして、誰よりもマイケル・ジョーダンがもっとも多くの票を集めた。
けれども一人だけ、個人的な方向に向かった選手がいた。彼はその話題に明確な意見を述べなかった。
“My Mom’s my hero,”
トレーニングルームに向かうために、ガードのブリン・フォーブスは立ち上がってそう言った。
母の日、ブリンにはその女性に感謝してもしきれないほどの多くの理由があった。その一つ、スー・フォーブス (Sue Forbes) の自己犠牲の精神と多くの励ましがなければ、彼はNBAの舞台にいなかったであろうと信じているからだ。
「彼女は自分の最大のサポーターなんだ、」ブリンは言う。「彼女は自分に可能性を見出してくれて、そしてそうやって育ててくれた。ほんとうに多くのタフな愛を与えながら育ててくれた。子供の頃はもちろん、彼女は自分の人生でもっとも重要な人物なんだ。彼女がどれだけ素晴らしいか表現する言葉が見つからない。」
彼女が今までやってきたことは、片親ながらミシガン州イーストランシングでブリンを立派に育て上げたことだけではない。今現在、ブリン自身が片親として二児を育てていて、67歳になるスーから多くを学び、彼女の助けを得ながらカーター(5歳)とレオ(2歳)を育てている。
「こういったことは彼女なしでは絶対にできないと思う。彼女は自分のために、24時間365日共にいてくれるんだ。」
彼女はブリンから賞賛を受けているあいだ、困ったような、どこか恥ずかしがっているように見えた。彼女にとって、それは良い親であるための一環として、息子のNBAでプレーするという夢の達成を助け、そして孫を育てているにすぎない。
「私は自分のことをヒーローだなんて考えたことはありません。けれど、親であるあなたが(子どもの)人生における目標、ゴール、指針をしっかりと定めたのなら、それは子どもが今後どうなっていくかの予言のようなものなのです。」
彼女は言う。
「私もより良い子育てをするために、自分で到達可能な高い目標を持つようにしています。」
彼女が42歳の時、1993年7月3日にブリンは生まれた。5年後、ブリンの父親と離婚したのち、彼女はブリンと他の子供たち---Tristan Warmels とErin Warmels---を一人で育て始めた。
「子育ては、ほんとうに冒険でした。」
彼女は言う。
「いつだって目を離さずにいられたことはありません。」
生活をやりくりするため、彼女は様々な仕事についた。主な収入源である税理士を除いて、こどもの大学進学資金のためパートタイムでキリスト教青年会 (YMCA) で働いたこともあった。その目は常に未来を見つめていて、「教育と行動すること」を目的とし、イーストランシングで彼女が共同所有しているスタジオで「Mindful Movement」と「Physical Therapy」のトレーニングを始めたりもした。
「多分、1日4時間くらいしか寝ていなかったと思います。」
彼女は言う。
長い時間働くことだけが、彼女にとって唯一の自己犠牲ではない。
「私は贅沢な旅行なんか行ったことがないんです、」彼女は言う。「新しい車を買うことを考えたことはないです。引越しを考えたこともない。私たちはずっと同じ家に住んでいるんです、彼らが子供の時からね。彼らが学校にいくのに十分なお金が必要だから。たまにそのことを思い出してこう言います、“全く私は何をやってたの! ” って。」
YMCAからNBAへ
YMCAにいた日々が、ブリンにバスケットボールに惚れ込ませた。
「YMCAににいたブリンより少し年上の子らは、いつもボール遊びをしていました、幼少期からずっと。ブリンは彼らを見て育ちました。」
スーは言った。
彼が少し大きくなったときも、その年上の少年らがウォーミングアップでシュートを打つのを眺めているだけだった。
最終学年になってプレーするのに充分なほど成長すると、チャールズ・トーマスというプロミネント・ユース・バスケットボールコーチから目を掛けられた。彼の息子たち、チャールズとカールは1990年代にNBAでプレーしていた。
「あなたはすぐに息子をJunior Proに加入させることを考えるようになりますよ。」
チャールズコーチはスーにそう言って、ミッドウエストのユースチームを紹介した。
「最初にそう言われたとき、「Junior Proってなに?それってどういう意味なの?」って聞き返しました。」
スーは続ける。
「それは私にとって学びの日々でした。私はバスケットボールプレイヤーでないので。でもチャールズのような人たちが知識を与えてくれて、理解できるようになっていきました。」
そのうちブリンがバスケットボールでキャリアを築きたいと考える時がきて、彼女がそれに気づいたときに、スーはそれを実現させるためにどんな苦労も厭わなかった。それはブリンに、自分を疑う人間の言うことなどかまうな、と伝えることも含まれていた。
「私は彼の夢を信じているし、彼に向かってそんな話はさせません、」彼女は言う。
「人々は彼にこう言い続けるでしょうね、お前は小さすぎる、アグレッシブさが足りない、とか。けれど私も言いつづける、そんなの聞かなくていい、あなた以上に、彼らはあなたのことなんか知らないんだってね。」
スーはイーストランシングからデトロイトまでの90分の道のりを、ブリンがAAUの練習に参加するために数え切れないほど何回も運転した。練習はしばしば19~22時まで続くこともあって、つまりそれは、彼らは夜中になるまで家に帰れなかったということだ。
「彼女は僕らをデトロイトに、インディアナに、国中のいろんなところに車で連れて行ってくれたんだ。自分をプレイさせる、ただそれだけのために。」ブリンは言う。
(チームメイトで)将来シカゴ・ブルズに入団するデンゼル・ヴァレンタインがランシング セクストン高校を、1試合平均19得点しながら2つのClass Bチャンピオンシップに導いたこともあって、フォーブスはあまり大きなリクルートを受けることはなかった。トム・イゾー率いる、イーストランシングにあるミシガン州立大学からのオファーよりも、フォーブスはクリーブランド州立大学からの奨学金を選んだ。彼は母に多くの教育費を払わせたくなかった。
しかし2年後、フォーブスはミシガン州立大学に転入する。この決断は彼の家族に関係するところが大きい。クリーブランドでの2年目のシーズン前、当時フォーブスのガールフレンドだったRaelynn Taylorがカーターを産んだ。加えて彼は少しでも自分の妹のところに居たかった理由があった。彼女はライム病(人獣共通感染症の一つ)を患い闘病生活を余儀なくされていて、その病気は2016年10月、彼女の命を奪うことになった。それはフォーブスがまだスパーズに入団する前のことだった。
「だいぶ元気になったよ、」ブリンは2016年3月、Detroit Free Press (デトロイトとミシガンの日刊紙)でそう言っていた。「息子の人生の中で、最初の年にあまり一緒にいてあげられなかった。自分にとって本当に苦しみもがいた時期だった。妹が病気になり、長いあいだ自分の家族から離れていた。多くの変化や出来事があって、自分にとってほんとうに難しい時期だった。」
San Antonioへ
ミシガン州立大学での2シーズン、2015年にはFinal Fourに進出、シニアシーズンには平均14.4点でほぼ50%のスリーポイントを記録したのちに、ブリンはスパーズと契約し、スーを大喜びさせた。
「親として、自分の息子が入るチームを注意深く選べるとしたら、スパーズ以外ありえないでしょうね。」スーは言った。
ルーキーの年、フォーブスは2回目の父親になった。Taylorがレオを出産したのだ。しかし二人は破局し、その後2017年に子どもの親権をめぐって裁判所に申請をした。その間に、スーはサンアントニオに移って、彼女の孫を育てる手助けをした。
長きにわたる争いの後、ミシガンにある地方裁判所 (Ingham Country Circuit)は、フォーブスの完全親権の判決を言い渡し、Taylorと合意した。Lansing State Journalによれば、この判決はまた、フォーブスがTaylorに養育費の代わりに$50,000支払うこと、そして彼女が、テキサスにいるカーターとレオと60日間共にいても良い権利を言い渡した(少し訳に自信がないです、すいません)。
この判決はまた、Taylorの旅費と宿泊費も支払うようブリンに命じていた。
スーのサンアントニオに引っ越すという決断は、イースト ランシングと深い結びつきがあった彼女にとって簡単なものでなかった。
「30年ミシガンで過ごした自分にとって、それは少し難しいことでした。」
スーは言う。
「スタジオを売りに出し、トレーニングイベントは閉めました。持っていたものを知り合いにあげて、家も貸家状態にしました。本当にタフでしたけれど、それが正しい判断だったかなんて、疑問に思ったことはありません。
次世代の子ども達がいるということ、それが本当に素晴らしいことなんです。それこそが私たちが世界に影響を与え続ける、たったひとつの可能性だと信じています。」
イースト・ランシングを離れることは彼女にとって本当に辛いことだった。しかしそれはもう過去のことで、今ではブリンが子どもたちの教育や生活をどうしていくか決断するのに、彼女の存在は大変な助けになっている。
「若い可能性のかたまりをまた見ることになって、本当にワクワクしています。」スーは言う。「彼らは夢であふれています。カーターなんか私を見てこう言いましたよ、「僕がテレビに出られるようになったとき、おばあちゃんまだ生きていられる?」って。本当に笑いました。しかも、あの子の中ではすでに5歳でテレビに出ることが決定しているらしいのです。「ベストを尽くすよ」って伝えておきましたけれどね。」
「そしてまた、ブリンにした時と同じように彼らの夢を聞いて、それを応援し続けています。本当に充実した毎日なんです。」
Mom’s advice
税務関係と健康促進系の仕事についた経験があるスーは、ブリンにとってアドバイザーであり相談役だった。けれども、2人の間で頻繁に話題になっていたのは ”育児” に関することだった。
「25歳という彼の年齢で、そのような重要なことを学ぼうとするのは本当に心優しい証だと思います。本当に難しいことなんです。」スーは言う。
そんなスーが自分の息子に受け継ごうとした、とても重要なレッスンがある。それは彼女が自分の父親から学んだことだった。
「私の父は口癖のようにこう言っていました、「いいかい、これからの人生、君は間違いをおかす事もあるだろう。けれどもそれは、明日の朝起きたときには、前の日よりも良い仕事をしなくてはいけないということだ。昨日の間違をもう二度とおかしてはいけない。」」
「私はブリンに、このことを何度も何度も伝えてきました。”あなたの仕事は、より良くなるために努力し続ける事なのだ” と。あなた方はきっと、ブリンのバスケットボールの中にそれを見つけることができるでしょうし、私は彼の育児の中にそれを見つけることができるんです。」
スパーズのガードであるパティ・ミルズは、チームでブリンのメンター役でもあるが、スーから息子へ、そしてそのまた息子たちへ、確かな愛情が注がれていることをいつも目の当たりにするという。
「彼女に会うと、いつも最高の笑顔で接してくれるんです。」パティは言う。「その表情はまるで、世界にはなにも問題がないという気持ちにさせてくれます。本当に優しい女性です。彼女とブリン、そして子どもたちとよくバーベキューをしますが、本当にユニークな面々で、その時間を過ごせることに本当に幸せを感じます。」
ブリンはまた、スパーズのロードゲームでは母親と息子たちを試合前のロッカールームまで連れて行っている。そこで家族に「また後で」と伝えた後は、ブリンは家に帰ることを心配せずに、自分の仕事のことだけに集中できる。
「ロードゲームはいつも調子が良いんだ。何をやってもうまく行くことが多いよ。」
ブリンはまた、父親とも良い関係を続けていて、それでスーとの関係が悪くなるようなこともまったくない。
「自分の人生は、彼女がいてくれたことが全てなんだ。」ブリンは言う。「彼女は最高なんだ。彼女のような人が親でいてくれるなら、これからも素晴らしい人生になること間違いなしだよ。」
20-21ドラフト、スパーズが指名しそうな何人かについて
悲しいかなスパーズがロッタリーピックを得ることになってしまい、どんなプレーヤーがいるのか色々と眺めていたので、その調べたことのメモ帳代わりにしてここに残しておきます。
スパーズはさすがにガード以外を指名するでしょう。というかウィング。
11位の指名順付近では、幸運なことにウィングが多いです。
スーパースターがいないと言われる今ドラフトですが、スパーズにとっては運が良いですね。
スパーズファンをやっている方ならご存知と思いますが、スパーズは人柄重視の指名をすることで有名です。
ぶっちゃけどんなバスケをするのかは調べればすぐわかることなので、まだ誰もまとめていないであろう、選手の性格や生い立ち、人間性にについて、調べて気になったところだけ簡単に残しています。
めんどくさいのでリンクも載せません。
注意:今載せているのは、パトリック・ウィリアムズとデヴィン・ヴァッセルです。
<指名されそうな選手 その1>
パトリック・ウィリアムズ (Patrick Williams)
FSUのウィングです。ウィングスパンが7フッター並みで、高いアスレチックさに高いバスケットボールIQを持ち合わせています。どのチームも欲しいであろう、いかなるポジションでも守れるディフェンスが特徴です。リムプロテクトもできます。
FT%が84%、ミドルレンジのシューティングは素晴らしくフォームは綺麗とは言えないまでもスリーもまあ打てますが、その一方で、その他のオフェンススキルがほとんど身についていないのが現状です。ファーストラウンドでは2番目に若いということもありますが、素材としての魅力を評価して、育成に時間をかける前提での指名が要求されるでしょう。
要はポテンシャルピックというやつですね。
いろんなドラフト予想サイト・記者情報を見ると、スパーズが指名する予想がすごく多い選手になっています。
そんな彼の性格は、キーワードで表すならば、「ディフェンスメンタリティ」と「謙虚さ」といったとことでしょうか。
まずはウィリアムズがFSUに進学を決めた話から。
ウィリアムズはノースカロライナ・シャーロット出身であり、5星スターだった彼の大学進学の際には、地元の名門ノースカロライナ大、ウェイクフォレスト、クレムソンからの地元リクルートがあったようです。そのほかにも通常リクルートとして、ヴァージニア、テキサス工科大学、ルイビル、アリゾナなどからリクルートの誘いがあったのにも関わらず、地元でないFSUを選択した過去があります。
NCは言わずと知れた伝統的にバスケットボールが人気な地域であり、どちらかというとフットボールが人気な地域であるFSUに進学した際には、周りからもなぜうちの学校を選んだんだと質問責めにされたようです。
その選択をした理由について、ウィリアムズ自身がこう語っています。
「私には多くの大学リクルートが来ましたが、みんなオフェンスの話をしていました。私がどんなオフェンスをすることができるか、そんな話をされました。けれどフロリダステイトだけは違いました。(FSUの)ヘッドコーチであるレナード・ハミルトンとそのコーチングスタッフ、私に声をかけてくれたチームの選手たちは皆、私にディフェンスの話をしていました。
私にとってはそれが本当に大事なことでした。誰にでもオフェンスはできますが、ガチガチに固められたようなディフェンスができる選手はごく一部です・・・。ここ(FSU)にきたのは、自分のディフェンスをもっと向上させたいと思ったからです。ディフェンスこそが私にとって一番大事なことなのです。」
ディフェンスが一番というメンタリティは素晴らしいです。オンボールもオフボールもディフェンスの意識が高く、ウィングですがリムプロテクトでも脅威になれます。
ディフェンスが良いと試合に出しても穴にならないので、育成前提で指名したとしても、経験による成長は早いのでは、と感じます。
地に落ちたスパーズのディフェンスを立て直して欲しい。
そんな彼は、少し謙虚すぎるところが目立つという話をよく見ました。
ディフェンスにフォーカスしたことについても、遠慮げにこう語っています。
「ACCのような高いレベルの環境では、高校の時にしていたようなプレーは皆できないでしょう。だから私はまず、ディフェンスを最初にやると決めました。」
チームメイトであるTrent Forrestくんからはこう言われています。
「彼は謙虚すぎるところがあります。私たちは時々、彼がどれだけ素晴らしいか、彼に思い出させてやってるくらいです。
彼は、皆が彼の話をするのを嫌がるんです。けれども私は言い続けています。もっと経験を積むんだ、お前はどんどん良くなるに違いないんだ、って。」
ウィリアムズ自身もこう語っています。
「チームメイトやコーチたちは、いつも私に自信を与え続けてくれます。私に素晴らしい才能があることを知っているからです。彼らがシーズンを通してサポートしてくれたおかげで、シーズンが続くにつれ、かなり自信がついてきました。」
シーズンが進むにつれてオフェンスも成長し続けていたらしく、良いチームメイトに恵まれながら、その高いポテンシャルを発揮していたようです。
彼の人格については、レナード・ハミルトンがこう証言しています。
「彼は素晴らしい家族に囲まれて育ったようです、それが彼の素晴らしい人格を構成しているのです。
彼はチーム・ファーストの精神を持ち合わせています。自分に何も役割を与えられなくても、文句ひとつ言わないでしょう。過去に(FSUに)在籍していた、ジョナサン・アイザックのような人物です。決して自分が周りよりも優れているとは考えない。素晴らしい人格を持ち合わせています。
彼はあなたがコーチをすることも受け入れます。コーチングに応えてくれます。あなたが究極にレベルの高い指示を出したとしても、彼はその指示を受け入れ、必ず達成して戻ってくるでしょう。」
う〜ん、スパーズ以外に指名はありえない気がしてきた。
母親が花屋をやっていて、学校が終わるとすぐに母親の店を手伝うのが彼の日課だったらしいです。根っからのお利口さんなんでしょうね。
ほんとうに性格が良く、育成上手なスパーズとは相性が良いんじゃないでしょうか。
せっかくのロッタリーピックなので、こういうポテンシャルが高い選手を指名して欲しいなあと思っています。しっかり育成してチームのコアにして欲しいです。
<指名されそうな選手 その2>
デヴィン・ヴァッセル (Devin Vassell)
けっこう人気物件のヴァッセル。パトリック・ウィリアムズとチームメイトです。
調べていると、ニックスが狙っているという記事によく出会いますね。8位でヴァッセルは勿体なさすぎるという記事もよく見ますが。ESPNの予想では、現在(11月11日時点)スパーズの指名予想です。
3&Dのウィングという評価をされている選手で、ディフェンスはアスレチックでオンボールもオフボールでも良い活躍ができます。が、その他の能力は低く、個人的には怪しいところが多いなあと思っています。
まずシューティングについて。大学では40%を超える素晴らしい確率でシュートを沈めており、チームのリーディングスコアラーだったヴァッセル。一方でみんなに言われている通り、シュートフォームが特殊。よくこれで決めるなあという感じです。またミドルは微妙でフリースローの確率は70%ちょっとしかなく、シューターとしては低いのかなあと思います。
また、ドラフト1ヶ月前に、Twitterにシュートフォームを変えた動画がアップされたらしいのですが、ボールのセット位置が頭よりも後ろに来るというとんでもないフォームになっていて、むしろ悪くなっていると一躍有名に。シューティングが評価されている選手だというのに、なにか不安が残ります。
(12/5追記、このシュートフォームに関してはフェイクニュースという見方が強いようです、申し訳ありません)
次にディフェンス。オンボールもオフボールも素晴らしく、スマートにディフェンスをするタイプです。アスレチックでリムプロテクトもできます。
一方で、体の線が細すぎるという評価。基本的に、筋力はプロになってからでも改善可能といわれているものではありますが、ヴァッセルに関しては体質的な感じがします。デジョンテとかイングラムのように、頑張っても筋肉がつきづらい体質に見えますね。ウィングでディフェンスをやっていくとなると、4番を守れるのはもはや必須だと思うので、ちょっと不安だなあ、と思わされます。実際オフェンスのハイライトを見ていても、接触されるとすぐに体が流れてしまってペネイトレイトに消極的に、といった場面が多いです。ウィングスパンに助けられてなんとかフィニッシュできている印象。
そんなヴァッセルくんの性格について。
かなり努力家であるという記事を何本か見ました。
スリーポイントが評価されているヴァッセルですが、高校の時には21%しか決めていなかったそう。大学に来てから、相当な努力を積み重ね、カレッジでも有数の3ptシューターになったらしい。普段の練習でもずっとシューティングをしているらしく、コーチたちからは「Gym Rat」と呼ばれていたそう。シューティング以外でもずっとジムにこもっていたらしい。それなのに二年生でその体かよ、とやっぱり不安になりますが。そもそも高校の時には3つ星スターだったらしく(ウィリアムズは5つ星)、FSUから奨学金の話が来た時には、周りから「どうせレッドシャツだ」と止められたそう。それで2年でチームのリーディングスコアラーになるのは、相当に努力した結果だろうと思います。
また、そんな中心選手だったのにも関わらず、チームプレイができて忍耐強く、コーチの言うことをよく聞くタイプとのこと。これは大事なことですね。
学ぶスピードも早く、Decision-makingも優れているとHCのレナード・ハミルトンが評していて、将来的に可能性のあるタイプだと思います。
それでいながら、かなりの自信家タイプらしいです。
大学に入った際にも、コーチ陣はヴァッセルのシュートフォームを変えようとしたが、絶対に変えようとしなかったらしいです。まあそれで入るようになったから良いんでしょうけど。
また、高校の時にはアトランタ地区で17番目と評価があまり高くなかったのですが、自分よりも上にランクインしている選手全員をリストにして、名前はもちろん、特徴なども全部暗記していたそう。当時自分がドラフトされる予想がないことに怒って毎朝眼が覚めてたよ、と言っていました。
あとはちゃんとは調べていないのですが、シーズン中に一度だけ試合出場停止になっています。ただ、これはチームとレナード・ハミルトンの決断らしく、リーグからではないようです。
出場停止の理由については明かされていないのですが、ハミルトンが、「私は選手たちを自分の子どものように扱うんだ、チームの全員のことを愛しているんだ」、みたいな意味深なことを言っていて、逆になにやらかしたんだ、と不安になりますね・・・。
3&Dとして期待されている選手だと思いますが、高順位で指名してチームの核として考えるなら、育成することを前提に考えなければかなあと思います。
ケルドン・ジョンソンはどのような人物か
スパーズのルーキー、ケルドン・ジョンソンについて書かれた、SAENのTom Orsborn記者の記事を和訳しました。
彼の人となりや性格が良く書かれたものになっています。
時間をかけずに訳したので、読みづらい箇所等あるかとは思いますがご容赦ください。
訂正案等、大歓迎です。
Spurs’ draft pick Keldon Johnson a ‘really good country kid’
2017年9月、マサチューセッツ州レキシントンにある上品なレストランでのことだ。
ケルドン・ジョンソンはケンタッキー大学の正式なリクルートのためにそこを訪れていて、田舎町で生まれ育った彼は、それに似合った振る舞いをしていた。
「彼は ”Country boy(素直な田舎の少年)” なんです。」ケンタッキー大学でアシスタントコーチをしているケニー・ペインは言う。
「この17歳の少年は、両手でステーキをつかんで、それに食らいついた後に、こっちを見てこう言ったんです、「コーチ、このステーキすっごく美味しいよ!」」
これがジョンソンの性格だ。見栄を張ることをせず、社交的で自分に忠実なのだ。
「ほんとうに”Country kid”という言葉が似合う奴なんです。」ジョンソンの父、クリス・ジョンソンは自分の一番若い息子をそう呼ぶ。「見たまんまの、素直な子です。」
スパーズはNBAドラフトの29番目でジョンソンを指名した。6-foot-6のオールラウンダーで、エリートディフェンダーになりうる素質を持ち合わせている。
「犬のように追い掛け回すんだ、」ジョンソンは自分の粘り強いディフェンスのことをそう語っていた。ディフェンスが最重要であるという意識をずっと持ち続けている。「コートに居続けたい、試合に勝ちたいからそれを第一にやるんだ。」
ジョンソンはアメリカ合衆国バージニア州にあるサウス・ヒルという町の出身だ。その町はノースカロライナ州との州境にあるメクレンブルグ郡に位置していて、人口は5,000人にも満たない。鮮やかな色のビジネスビルと、Tabacco Farm Life Museumがあることで知られている。
「町のみんなが全員と知り合いなんだ。」とジョンソンは言う。「例えるなら、一つの大きな家族みたいな感じだね。」
ジョンソンはその大家族の中ではとても有名な息子だ。けれどもそれは彼がすぐれたバスケットボールキャリアの持ち主だからではない。
「ケルドンは素晴らしい選手だけれど、それ以上に素晴らしい人間なんだよ、」と地元紙であるSouth Hill Enterprize社のスポーツ担当記者であるデニス・スミスは語っている。「今じゃバージニアの南の方に住んでいる人たちの多くはスパーズファンさ。」
2歳年上の兄と1歳年下の妹がいるジョンソンについてはっきりしていることは、小さい時からとても社交的な性格だったということだ。
「常にすごいエネルギーをもった、元気な子でした、」クリス・ジョンソンは言う。「彼は人々を愛していて、同じくらい人々に注目されるのも愛しています。」
この心持ちは、そんな彼の父親がそのような人物だからである。
「僕の父は本当に社交的で、人見知りを全くしない人なんだ。僕も同じさ。」ジョンソンは言う。
彼はまた、両親の労働的な価値観も受け継いでいる。父親はトラックの運転手で、母親のロシェルは看護師だ。
「父は一日中働いているんだ、」ジョンソンは自分の父親についてそう語る。「だいたい朝の2時ごろに起きて、3時ごろにはもう仕事に行くんだよ。」
ジョンソンのバスケットボールキャリアは、彼が9年生(中学3年生)の時に記録した、1試合平均27点という記録から始まりを告げる。
この功績は、ひとえに彼のバスケットボールに対する愛と、彼の才能と同じくらいのハードワークによって成し遂げられたものだ、と当時ジョンソンをコーチしたブライアン・サイクスは語っている。
「私がジョンソンの家に行くと、いつも彼はバスケットボールに関するなにかを見ているんです。彼はいつも私に電話してきて、練習場を開けるよう言ってくるんです。日曜の午後だろうが、電話してきてこう言います、「コーチ、練習場開けれる?」と。どんな日だろうが、雨だろうが晴れだろうが構いやしません、彼は練習場にずっと居たがっていました。」
そうこうしている間に、ジョンソンの両親は、彼の夢である ”NBAでプレーすること” を確実に達成できるように、目的達成の道のりから彼が逸れないようにし始めた。
そのことについてサイクスはこう語っている。
「ケルドンには誘惑ややってみたいことが多くありましたが、両親は決して彼にそれらをさせませんでした。ケルドンが夢を追いかけ始めた最初の時に、彼らはこう言ったんです。「もしあなたがNBAに行きたいのなら、行きたい所があっても我慢をすること、友達でも人によっては距離を取ること。ただひたすら、夢を達成することだけを考えつづける必要がある。」って。良い意味で古風で、素晴らしい人たちなんです。」
ケルドンはまた、サイクスからも後押しされていた。
サイクスはこう語る。
「ケルドンは私のことを、”track coach(陸上競技コーチ)”と呼ぶんです。私は彼をひたすらトレーニングさせ続けました。彼はいつもこう言っていました、「コーチ、あなたは陸上競技のコーチなんだ、ずっと走らせてウェイトだけをやらせたいんでしょう。」って。けれど努力は報われると信じて、そうさせていました。」
高校1年生の時には、オフシーズンに足首の怪我を克服し、チームを州の準々決勝まで導いた。オール・ステイト・ファーストチームにも選出された。
そのシーズンが終わってから、国内でトップ15の選手にも選ばれた。AAU circuitにも出場しており、学術的にもレベルが高い、国内レベルで物事を見据えているHuntington Prep in West Virginiaに転校することを決めた。
だがHuntingtonには長く居なかった。シニア(高校3年生)シーズンには、バージニアのブルーリッジ山脈にある強豪 Osk Hill Academy に転校する。そこでも彼は ”gym rat” (ジムに通いまくる人)でいつづけた。
「彼はしょっちゅう私のオフィスに出入りしていました、」Oak Hill で長い間コーチを務めているスティーブ・スミスが、2018年にケンタッキーのスポーツラジオでそう語っていた。「普通の選手たちはそんなことしたがらない。けれど彼だけはしょっちゅう来て、一日中そこに居ました。彼の親しみやすさや性格は、周りの人たちをとても楽しくさせます。」
ジョンソンはまたOak Hill で、思いもよらない友情関係を築き上げることになった。スミスコーチに、ケルドンと”best buds(親友)”とまで呼ばれていた相方は、日本から来ていたShiryu Kataokaという5-foot-4の学生マネージャーだった。
(リンク先の記事に二人のエピソードがちょっとだけ載っています。Best budsは、子どもの親友という意味があるらしいです、200cm近いケルドンと160cmちょっとの二人はさながら…間違った解釈でしたらぜひ教えてください!)
「ケルドンは遠征先ではいつも彼と同じ部屋になりたがっていました。ほとんどの選手はそんなこと言いません、「マネージャーと同じ部屋にしてくれ」だなんて。」
ジョンソンの性格からして、Oak Hillでリーダーになるにはそう時間がかからなかった。
「誰かが上手くプレーできなかったり、何かで落ち込んでいたりすると絶対に彼らに声をかけていました。」スミスはそう語っている。
2017年の9月に、ジョンソンは2018年のNo.7として、ケンタッキー大学へ進むことを決めた。そこで彼は13.5 pts、5.9 reb、1.6 astを記録し、SEC Freshman of the YearとAll SEC Second Teamに選出された。彼はまた、7回の20 点超え、4回のダブルダブル、そしてシーズン終盤にはオーバーン大学相手に17リバウンドを奪う活躍を見せて、NBA入りのポテンシャルを周りに見せつけた。
「カレッジの試合でそれができるペリメーターの選手は多くありません、エネルギーに満ちた、注目度の高い試合で、強敵を相手に、17リバウンドを達成できるのは。」アシスタントコーチのペインは言った。
ワイルドキャッツにいる間、ジョンソンはジョン・カリパリに、そして彼のスタッフに、彼が持つスキル以上のもので印象を与えた。それが助けとなり、2019年のNCAAトーナメントでは “Elite Eight” を達成することができた。
「彼は失敗に対する ”恐怖” を持っています、私はそれを持っている選手が大好きです。」ペインは続けて言う。
「傲慢で、すごい才能を持った選手というのは、逆境に立たされた時にどうしようもなくなってしまいます。けれども、”恐怖” を持った選手は違います。その時にこう考えるのです。’なにか自分は上手くいっていない、どうにかして良い働きをしよう。このままだとさらに事態が悪化してしまうかも。’ この思考こそが私の好きなものなのです。」
「そのメンタリティがあれば、何をしていても、あなたは前に進むことができます。」
NBAドラフトの夜、大注目のロッタリーピックの場面で、彼のチームメイトであるP.J.ワシントンとタイラー・ヒーローがトップ13で呼ばれたのにも関わらず、ジョンソンだけがずっと座る展開になってしまった。
「人々は彼がもっと高い順位で指名されると期待していたと思います、」スパーズGMのR.C.ビュフォードは言う。
「我々は、そのポジションでは彼がベストプレイヤーだと評価していました…たまにこういうことが起こります。特にケンタッキー大学のような、非常に優れたメンバーが揃っていた場合、十分な力があるのにも関わらずあまり目立たないのです。評価が上がらなくなってしまうのです。他の普通の選手と一緒くたにされてしまって、自分ではどうしようもなくなってしまう。今回はケンタッキーから3人も1巡目でドラフトされていて、その可能性は十分にありました。」
ドラフト後の土曜日、カリパリは電話会議の中で、ケルドンが29位に落ちたことがいまだに理解できないこと、そしてスパーズが彼をドラフトしたことにぞくぞくしている、と語った。
「彼は最終的にサンアントニオに行きました、そこはNBAで最高のチームです。」カリパリはこう語っていた。
「我々は皆、殿堂入りコーチ(ポポヴィッチ)についてよく話をします。スパーズという組織は、なにより、若手の育成に関して信じられないくらい素晴らしい仕事をします。あなたも知っているでしょう、彼らはドラフトで、誰も注目していなかったコロラドの青年(デリック・ホワイト)を見つけ出しました…彼らはまた、大学時代に同じく無名だった(カワイ・)レナードも今のレベルまで引き上げました。彼らは絶対に見逃したりしません。」
ペインはドラフトの後、似たようなメッセージをジョンソンに送ったと話した。
「彼には、「ドラフトでは君は中位(10~16位くらい)くらいの実力だろう。けれども、神は違うプランを用意したんだ。」とメッセージしました。そのプランは、彼にとってNBA最高の組織で、最高のコーチがいて、最高のGMがいて、最高の育成プログラムがあるチームに行くことだ、とね」ペインは続けてこう語ってくれた。「彼はスタッツシートを埋めて勝利に貢献できるタイプの選手なんです…毎試合、12~15点を取り、7~8リバウンド、4アシスト、2スティールをコンスタントに記録できる。スパーズのような組織で、そのようなメンタリティをも持ち続ければ、何も心配はいらないんです。」
ペインは続ける。
「こうも伝えました。「君はドラフトで10~15位で指名されなかったのかもしれない。けれども最終的に、その方が良い状況になる…なぜなら、(ドラフト順位が下がると)プレイオフチームに行くことができる、それはつまり良いチームだということだ。皆が羨ましがるし、確実にそちらの方が良い。」」
ジョンソンはドラフトの会場で、自分の指名順位がどんどん下がるのを見て、「神経がすり潰されそうだった」と語っている。そんな中で記者の 「クリーブランドが26位指名でジョンソンを指名しようとしている」というツイートを見て、ほんとうに狼狽していたらしい。
ジョンソンはその時のことをこう語る。
「そのツイートを見て、自分がランドに行くかもしれないと思うと不安で不安で…スパーズのようなしっかりとした組織に行きたい…ひたすら祈り続けてたんだ。」
父親のクリスもこう語る。
「(スパーズは)最高の組織です、間違いありません。ポップは彼に、成功するために必要な素晴らしい教育を施すでしょう…私にとって、それだけで十分な理由なんです。一つだけ私にわかっていることは、ケルドンはずっとジムにいつづけるだろうということです。そうしているうちに、すぐにポップと仲良くなるんじゃないかな。」
ケルドンはまた、ドラフトされた夜にはすでにスパーズの選手らしい発言をしている。ポップはルーキーをあまり試合に出さないのが通例になっていることについて、自分がそうなっても何も問題ない、良い心構えを保ち続ける、ということを記者に語っていた。
「Trust the process.」彼はそう語っていた。「正しいプレーができるなのならそうするし、やりつづけるよ。けれど、彼らが自分を信用するまで1~2年かかって、その間ずっとベンチに座ることになっても、全く気にしないよ。そうなっても文句なんかないし謙虚に努力を続ける。それだけを考える。」
これらのことから、ジョンソンの人となりについて次のようなことが言えるだろう:
[ 何があったとしても、彼は自分自身に忠実でいつづける ]
「ステーキを両手で持ち上げた時、その行動からわかったことは2つあります、」ペインは言う。「1つ、彼は自分に素直でいることを恐れていないこと。2つ、素直で、自分に嘘をつかず、ほんとうに無邪気だからこそ、そういつづけることができる、ということ。」
「彼は本当にスパーズの選手らしい人間なんです。彼はまだ若い。これから多くのミスをするでしょう…。けれどもいつの日か、あなたにとってかけがえのない存在になるのは間違いありません。」
パウ・ガソルのバイアウト スパーズはガソルをどう活かそうとしたか
パウ・ガソルのバイアウトが正式発表。
バイアウト後は、プレイオフに向け優勝経験のあるベテランを求めたバックスと契約。
今シーズンのガソルを見ている感じだと、正直プレーヤーとしてはもうかなり厳しい印象。ダークと同じく年齢による体の衰えを隠しきれず、ガソルは今のスピーディなNBAではさすがに苦戦を強いられていました。
個人的にはベテランも上手く使うことにはスパーズは長けているチームだと思っています。ガソルの衰えを見る一方で、その活かし方、模索の仕方を見ることが出来たのは、私のようなチームのファンにとっては興味深かったなあと思っています。
プレシーズンでは、ベテランはシーズン初めに体を動かした方が良いとのチーム内の意見 (ソース失念) からガソルは比較的長い時間出場していたし、シーズン中はスタートにおいていた時期もありました。チームとしてもガソル個人としてもチームにフィットするように模索していたのは伝わってきました。
特に今シーズン見られた形として面白いな〜と思ったのは、このブログでも以前書いたデンジャラス・シューティング・ラインナップでのガソルの活用です。スパーズのインサイドにはオルドリッジとパートルがいますが、ガソルはこの2人と比較すると、経験はもちろんながら何よりパスが本当に上手い。
ポポヴィッチも今シーズンの初めの方に、
“He’s a great passer, and they move really well around him,”
“He really does a good job with that second group, creating movement,”
と発言しています。これは他の2人には全くないスキル。
シューティング・ラインナップは、簡単に言えば、4番まで全員シューターのラインナップに走れてリバウンドの強いパートルを加え、早めのペースからオフボールで動き回ることで3ptを決めまくる恐ろしい戦術です。実際このラインナップでリードをもたらした試合も多くありました。(上手くいかない事もあるし、ここ数試合使われていませんが)
基本はパートルなのですが、例えばオルドリッジが相手に対して優位に立てる場合 (インサイドのフィジカルが弱めのLALなど) には、パートルの代わりにオルドリッジを加えるラインナップを取っています。オルドリッジを止めるにはダブルチームが鉄則ですが、あまりに彼にやられすぎると相手はさらに深めのダブルチームを仕掛ける&ガードのDも気にしてしまうので、結果ディフェンスがオルドリッジの周りに引きつけられることで周りのシューターが光ります。ボールが動くし、実際このラインナップの時のオルドリッジは無理にアイソせず、パス優先のプレイが多いのです。
そしてこのラインナップにガソルを入れていたのも、何回か見られた形でした。そのパスセンスとシューターを活かすラインナップ。パスのうまいガソルにボールを集め、フリーになったシューターにパスを供給することでこのラインナップをさらに強力にしようという意図が見えました。イメージとしてはウォリアーズのデスラインナップで、ドレイモンド・グリーンのパスセンスと稀代のシューターの組み合わせというのが近いし似ています。実際は比べられるレベルで無いのはおいといて、ドレイモンドと違うところは、ガソル本人すら3ptを打てるために、ペリメーターでボールを保持してもサグ気味にされないことでスペースがさらに広がるということ。
この動画の3つ目のプレイ、0:25からのプレイが一例としてわかりやすいかな。これは本人が決めてますが。
今シーズン、パウの活躍は少ないのであまり良い動画がない。この動画もパウのハイライトのくせにレブロンの同点スリーとか載せるんじゃないよ
まあ結局このラインナップを試したものの、実際はそんなに上手くいってませんでした。この動画にしてもレイカーズのディフェンスが悪い印象だし、シューティング・ラインナップ自体、そんなに起用されるものでも無いです。変にガソルを出すとパートルの時間が削られてしまって長期的にみれば良くないし、それだけで16 milは高い。
これを一例として、結果としては上手く行きませんでしたが、スパーズがシーズン中に彼を諦めずに、また彼自身もチームの為になる道を模索し続けていた様は見て取れたので、今回の決断は仕方無かろうと思っています。組織として出来る限りの事をやって、その結果厳しかったら仕方ない。その姿勢を感じ取ることが出来たことが嬉しい。
経験と叡知だけは活かせるとは思いますが、正直今のスパーズは優勝を狙える位置ではないし、その経験をもっと活かせる&評価したのがバックス、という感じだと思います。
人間として成熟している彼の評判が至る所から聞こえていたのも、プレイヤーとして厳しくも彼が今だに契約できる理由だと思いますし、オペラの話なんか本当にスパーズっぽくて良い選手だったと思います。2年前のプレイオフもガソルがいなければロケッツに勝つのは難しかっただろうし。
バックスでどれほど出場できるかわかりませんが、その素晴らしいキャリアがさらに良いものになるように願っています。
トニー・パーカーはスパーズにとってどのような存在であったか
地元紙であるSAENの、マイク・フィンガー記者の記事の和訳です。
短い内容ながら、トニー・パーカーがスパーズにとってどのような存在であったかが分かる内容になっています。
箇条書きに近い文章で、かつ少し難しい箇所が多いため、自分なりの解釈でまとめています。
元記事を読んでこうではないか、等のご指摘などあれば、私の勉強にもなるのでコメントなどに是非お願いします。
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Parker’s pride drove Spurs until the end
By Mike Finger | July 6, 2018 |
SPURS NATION From the San Antonio Express-News
それは真冬の、パッとしない内容ながら確かスパーズが勝利したゲームの後の、いつも行われるメディアセッションでの出来事だった。
それは何年も前のことだったが、つい何ヶ月か前のことのようにも思える。
トニー・パーカーはAT&Tセンターのホームのロッカールームに立ち、メディアに向かっていつもの役割を果たしていた。自分へ向けられる多くの賞賛をかわし、チームメイトやスパーズのシステムを賞賛する。
質問の途中で記者が、ヨーロッパ出身選手の中で4番目に多いスコアラーである、というパーカーの実績を何気なく引き合いに出すと、彼はいつものように微笑み、丁寧に同意しながら“そうだよ、間違いない。” と返事をかえした。
けれど彼はロッカーを出ると、ふたたび微笑んで、先ほど質問した記者をいたずらでもするかのように小突き、レコードブックをチェックするよう彼に進言した。
“僕は3番目だよ。” パーカーは言った。
もちろん彼が正しく、これにはなんの不思議もない。サンアントニオにいる17年間、パーカーはNBAヒストリーの中で、スパーズの中で、そしてサンアントニオという街で、自分が今どんな立ち位置にいるのか、いつも正確に把握していた。彼はいつもこれらを深く気にかけていて、しかしそれは決して劣等感や自信のなさから来るものではなく、彼がいつもグレートな存在を目指したが故のことであって、スパーズを離れた今、彼はまさしくその通りに皆に記憶されるだろう。
パーカーは誰よりもプライドが高い男でありながら自分のエゴを抑えることができる人間だった。何度も何度もそれを続けながら、3番手の役割を積極的にプレイし続けた。心の底では、ほんの少しだけファンが自分よりもダンカンとジノビリのことを愛していると気づいていたが、失意にはしなかった。自分こそが、ダンカンとジノビリをさらに良い存在にしていたことを知っていたからだ。
彼のような気弱で高慢な性格は、スパーズの一員としてやっていくには少し難しい−−−訛りの問題もあるが−−−けれど彼の場合、与えられた状況にこの性格は辻褄が合った。
まだ10代のルーキーだった頃、彼はグレッグ・ポポヴィッチに今すぐにチームのベテランを受け入れ、彼らを引き受ける責任を負うことをお願いされた。もちろんこれは、意志薄弱で過敏な少年だった彼を困惑させた。
パーカーがスパーズに加わった時、GMのR.C. ビュフォードは、“我々は今現在、転換期にある。” と言っていた。スパーズは、デビッド・ロビンソンとショーン・エリオット、エイブリー・ジョンソンの時代から、ダンカンとこれから集まるサポートメンバーたちのチームにスムーズに移行できるよう、ギャップを埋めようとしていた。今後スパーズがどのようなチームになるのか、確信している者はいなかった。
結果として、その役割はパーカーにとても合致していた。
良い意味で伝統に従わず、謙虚で、自分に疑いようのない自信があった。長年に渡ってポポヴィッチからこれほど多くの叱責を受けた選手は、パーカーを除いて他にいないだろう。
彼がNBAファイナルでパーカーをベンチに下げスピーディ・クラクストンを起用した時には、パーカーはゲイリー・ペイトンやジェイソン・キッドと自分がトレードされるという噂を頻繁に聞く羽目になった。
しかしこれらのことがパーカーの心を押しつぶすということは決してなかった。
もしこの出来事が彼の心を押しつぶしたとしたら、それは彼が他の選手 −−−自分以外のポイントガードや他のプレイヤー−−− が自分よりも優れていると信じることになる。パーカーがそう考えたことは一度もなかった。
パーカーの自信の価値 −−−実際のところその高慢さ−−− がスパーズの過去3回のチャンピオンシップを獲得するために、どれほど大事だったのかを語るのは簡単ではない。
ダンカンは、その類い稀なる素晴らしさが為に、まれに自信を喪失しがちになる時があった。
ジノビリは、その華麗な情熱でチームの弾みとなったが、大雑把なプレイが続くことがあった。
パーカーの自信も、ポポヴィッチからパーカーに与えられるすべての指示も、揺るぐことがなく、容赦がなかった。どんな時でも、才能ある新人がまるで初めてハリウッドに降り立つ時のような心持ちで入団してきても、それは“スパーズ流” を示す良い機会となって、皆が同じ立場であることを理解させ、気を引き締めさせた。
パーカーは2007年のNBAファイナルでは支配的なプレイをして、数年の間、チームのベストプレイヤーだった。パーカーがNBAで最速の選手だという称号を過去のものにしても、ポポヴィッチはコート上の彼を愛し続けた。彼以上にスパーズのシステムを知る人間はいなかった。
そしてもちろん、彼はレコードブックの中での自分の位置を知っている。このことがどれだけ彼にとって重要なことか、試合の勝利の方が大事だが、チャンピオンシップを勝ち抜く方が大事だが、常にパーカーがドライブをする原動力であり続けた。
彼は長年、NBAで20シーズンプレイしたいと言っていて、スパーズは彼に戻ってきて欲しかったものの、まだプレイするためにはシャーロットの方が良いシチュエーションだということをパーカーが理解し、選んだことは賢明な判断だろう。スパーズとの関係性が悪くなったわけではない。全くの反対で、スパーズは彼の選択を支持している。
スパーズはいつか彼が帰ってくるのを迎え入れるはずだ。サンアントニオはいつだって彼の場所だ。−−−10代でやってきてレジェンドとして離れ、野心を捨てることなく名声を犠牲にし、3番目であることに気づいても失意にはしていない、彼のための場所なのだ。
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ロニー・ウォーカー 4世の性格や生い立ち
スパーズのルーキー、Lonnie Walker Ⅳについて書かれた、The RINGER誌のパオロ・ウゲッティ記者の記事を和訳しました。
少し長く(1万字あります)、英語が苦手なので読みづらいところもあるかとは思いますが、自分なりの解釈でまとめました。残念ながら今シーズンはあまり出場する機会はないと思いますが、NBAという舞台で活躍してくれる日は近いと思います。
スパーズにとってどれだけ彼がドラフトスティールだったかをまた書いてみようと思います。
ではどうぞ。
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Lonnie Walker Ⅳ Is Out of This World
NBAドラフトでもっとも魅力的な一人である彼は、同時にもっとも探究心に富んでいる。マイアミ大学の目立ったフレッシュマンは、自分と接した人たちに周りの世界のことを少しだけ深く考えさせる。そして彼は、あなたの近くのフランチャイズにもそれを持ち込むだろう。
Lonnie Walker Ⅳはあなたに、心を開いて柔軟な発想をして欲しいと願っている。私たちが知ることのないような広大で深い海について、あなたが最後に考えたのはいつだろうか? 科学者が唱える、人間の新しい臓器の発見についてはどうだろう?
ウォーカーはこれらのことを人々に考えて欲しいと願っている。
6月のある朝のことだったが、カリフォルニアのThousand Oaksで行ったプライベートの練習の後、折りたたみ椅子にのけぞってメディアから質問を受けるために座っていたウォーカーは、シューズの下から彼の王冠のような髪の毛の先まで、とても生き生きとして幸せに過ごした時間があった。その幸せそうな時間が訪れた理由は、彼が大好きなアニマルプラネット(動物に関連する番組を提供するテレビ)に関する質問を受けたからだった。彼はエコロジストとして、心理学者として、そしてNBAで将来有望な人間として、全ての素質を兼ね備えている稀有な人材なのだ。
木曜日に行われたNBAドラフト前には、ロニーは6 ft 4.5 in、192 lbの体格、爆発的な身体能力、滑らかなプルアップシュート、そして様々なポジションを守るのに有利な6 ft 10 inのウィングスパンを評価されていた。Activeな体に、Hyper Activeな精神を持ち合わせていた。
“バスケットボールをプレイするときは、独創的に物事を考える。” ロニーは自分のことをオタクや変人のようだ、と語った。“みんなが見ているものから色んな事を学びたいという気持ちがある。あらゆる物から学ぶ時、自分がスポンジのようであれば成長することができる。”
彼の興味の対象は偏ることがない。それはロニーによれば、いろんなものが混ざり合い一緒になって、結果として1つの物として見えるに過ぎないから、だそうだ。プラネットアース(自然ドキュメンタリーシリーズ)の古いテープは、アレン・アイバーソンのAnd1ストリートツアービデオと同じくらい彼にとって大事なもので、彼はそれを観ながら育ってきた。彼はフランス領ポリネシアの滝のことや遠く離れた地域のエコシステムについて研究したこともある。彼の好奇心はあらゆるところまで広がっている。
“自由に流れているようなイメージ。一つのことに固執していないんだ。” とロニーは自分のプレイについて語っている。“人とは異なり卓越した方法を常にプレイや試合で探している。最後にディフェンダーのつま先が自分のつま先よりも後ろにあることを確認するのは、いつも同じだけれどね。”
ウォーカーは普通のone-and-doneプレイヤーでも、単なるシューティングガードでも、典型的な19歳でもない。彼は常識に常に疑問をなげかけ、あらゆることを考察する。だけれども、そんな彼にも一つだけ、5,6歳の頃から彼の中で確信していることがあるそうだ。
“自分は将来のNBAスター、しかもフランチャイズプレイヤーになれる。自信を持って言えるね。” 彼はそう宣言した。
“Why not?”
ジム・ララナガ(Jim Larranaga : スペイン表記が難しいのでこう表記します) はjaguar に夢中になっていた。車ではなく、動物のjaguarだ。2015年の7月から8月にかけて、マイアミ大学のヘッドコーチであるララナガが、リクルートの一環としてロニーと電話をしていた時の話だ。
“さっきテレビショーを見ていたんだ。ジャガーがダチョウを追いかけていたんだが、ジャガーはダチョウに比べて小さく、一匹で押し倒せることができなかったんだよ。明らかにヤツには助けがいる状況だった。”
そのコーチの話に、ウォーカーは驚くことなく答えた。“ああ、ちょうど自分も見ていたよ、あれはすごかった。” そしてこうも言った。“ダチョウは速いしでかい、もしヤツらに蹴られでもしたら、簡単にあなたは死んでしまうだろうね。”
これはウォーカーがCoral Gables (マイアミ大学の所在地) に住み始める前の会話の内容だ。もちろん二人ともそれがリクルートの大事な期間であることを忘れていたわけではない。彼らはバスケットボールという理由でお互いを必要としたが、彼らの中でそれは最小のものに過ぎなかった。ララナガはウォーカーのこの考え方を賞賛している。“とても素晴らしいことだ。我々がとても気を使うのはバランスを取ること。あなたも人生においてバランスを取りたいと感じるだろう。ロニーは本当に均整で多才な人間だ。ほとんどの人は、バスケットボールに関する話ばかりをしたがる。けれど彼は、比較的多様な人格と知的好奇心を備えている。”
そんな中でも、コーチたちはどうしてウォーカーに惹かれていたのかを決して忘れることはなかった。マイアミ大学のアシスタントコーチの一人であるアダム・フィッシャー(Adam Fisher) はウォーカーにずっと目をつけているうちの一人だった。それは彼がロニーと同じくペンシルバニア出身だったからだ(ロニーはペンシルバニア州内のあまり治安が良くない地域であるレディングの出身で、フィラデルフィア等が同州内)。フィッシャーはリクルート期間中、ヘッドコーチのララナガに、どうか彼が高校でプレイしている姿を見て欲しい、彼にもリクルートの門戸を開いてくれないか、と話した。それを聞き入れたララナガはロニーが高校2年のシーズンに彼を観に行き、そしてすぐに虜になった。
“彼がコートを走っている時、それはまるでウサイン・ボルトが走っているようだった。彼は、100ヤードのスプリントですら舞うように走るんだ。” ララナガはそう話す。“彼は天性的にその能力を持っていた。彼は早く動けるし、ジャンプ力も素晴らしい、優雅で、とてもアスレチックだ。彼のポジションはNBAではただのSGだろうが、経験さえもらえればポイントガードもすぐにこなせるだろう。”
5月のドラフトコンバインは、NBAの球団が初めてドラフト候補の選手たちの驚異的な身体能力を直に見ることができる。もちろん、ロニーも、そのコンバインでどうにか目立つ結果を出そうと奮闘していた。そんな中、報道陣からのインタビュー中のことだったが、ロニーは彼らからカイリー・アーヴィングの「地球は平ら」理論について質問を受けた。インタビュー自体は気楽な感じで、それまでは報道陣からくる質問を端的に打ち返していたロニーだったが、その質問を受けた時だけ、身構えるようにしてこう答えた。“地球は平らではないよ、僕の考えではね。” ロニーの発言は報道陣を驚かせた。“けど地球は、僕が密かに考えているのは、地球は完全に虚像でできているんだ。僕の密かな意見だよ。” その前年に科学者たちが、地球は虚像的に存在している可能性がある、と報告したばかりだった。
その様子を遠くで見ていたロニーの高校のコーチであるリック・ペレス(Rick Porez) は、高校の最終学年にチームを州立タイトルに導いた元教え子を見ながら一人だけ笑っていた (ロニーは高校の117年の歴史の中で、初めてチームを州選手権に導いた) 。この出来事はいたって普通のことで、驚くことではなかった。“これが、これこそがロニーなんだよ。” 彼はそう語っていた。“できることなら、コンバインの間中、座って彼のことを見ていると良いよ。その19歳はすでにNBAにいく準備ができているし、それこそがロニーなんだ。会話はいつの間にかロニーが話したい内容にどんどん変わっていくだろうけどね。”
2016年、NASAが地球の周りを回っている新たな小惑星を発見したと発表した。1世紀以上も前から存在していたとされていて、つまるところ、我々にとってそれは月が二つあるようなものだ。ロニーはこのことについて自発的に発言をしていて、「人々が驚くような新しいことは毎日見つかっている」、という意見を述べていた。慣習や常識は常に変わっていくものだ。“我々は長く生き、共に毎日過ごしているから、何かしらの発見はある。そんなことは身の回りに溢れているし、全部把握するのは無理だよ。今ここにあるものはなんなのか、あなたは一体誰なのか、そんなことすら死ぬまでに理解するのは到底無理だろうね。” ロニーはそう述べていた。ロニーの知的好奇心は周りの人たちにも感染するようだ。彼が自分から自分の固定観念に向かって挑戦していく姿勢は周りの人たちにも伝わっていく。彼はいつも科学者の役割と重大な発見や知見がどのように得られるのかについて話す。時々ではあるものの、周りにいる彼らはロニーの質問に的確に答えるようになった。
Lonnie Walker Ⅳのことを知ろうと思うなら、まずは1つ前のLonnie Walkerのことについて知るべきであろう。ウォーカー三世は、ロニーの子供部屋を絵画や楽器のような独創的な物で埋め尽くしていた。それと一つのバスケットボール。ウォーカー三世は以前読んだ本から、子供の部屋に置かれたクリエイティブな物が子供の運命を導くということを学んでいた。
けれども、ウォーカー三世は他に密かに抱いていた考えがあって、結果的にそれが自分の子供をその方向へ導いた。
年長者というのは、バスケットボールを知識と情熱でプレイするものだ。ウォーカー三世はアルバーニア大学で以前プレイしていて、大学の歴史上、1,000得点1,000リバウンドを達成した初めての選手だった。2010年に、彼は大学の殿堂入りを果たしている。
しかし、ウォーカー三世はニュージャージー短期大学からアルバーニア大学への転校を経験しており、その関係で資格を一つも得ることができなかった。それが理由で彼はホームレスとして生活していた時期もあった。しかし彼は諦めず、自分のバスケットボール選手としてのキャリアの追求をやめなかった。そんな中、ロニーが1998年に生まれてから、優先すべきことが変わった。どうにか自分のバスケットボールキャリアを追い求めながら、ロニーが3歳の時にはシングルファザーになりながら、料理人やTシャツ、サングラスを売る仕事など、様々な仕事をこなした。同時にロニーを、フィラデルフィア近郊で開催されたサマーリーグに連れて行ったりもした。
“私たちは常にバスケットに囲まれていた。毎日、息をするときも眠るときも、ご飯を食べるときさえもバスケットボールのことばかりだった。” ウォーカー三世はそう語っていた。
必然的にロニーは、バスケットボールと友達になった。文字通りだ。彼が5歳のとき、彼はどこにいくにもボールを持ち歩いていて、彼は本当にボールを「友達」だと言っていた。
この同時期に、ロニーはフィラデルフィア動物園や祖父母が住むアトランタのジョージア水族館へよく旅行した。“あそこはアメリカの中で最高の水族館だよ、” ロニーはそう語ってくれた。初めて行った時から大好きだそうだ。“そこでは、ありのままの厳しい地球や世界、動物を知ることができる。行くのをやめられない、もう依存症になっているんだ。”
これこそが、ウォーカー三世がロニーに望んでいたことだった。
人生の何に重きをおくか、考え方はもちろん、実際に自分で考えることができる能力。ロニーが8歳でAAU circuitに参加したときも決して楽な暮らしではなかったが、それでもウォーカー三世は、彼の為に読むべき本を与え、クラシックの素晴らしい音楽を演奏して聴かせ、それらの習慣を教え込んだ。そしてなによりバスケットボールは、生きる目的であり、安全でいられる為に何より大切なことだった。周りにはドラッグや殺人事件が蔓延していて、ロニーが大きくなるまでに友達が1人殺された悲惨な事件もあった。
“統計的に言えば、ロニーがインナーシティ(治安の良くない都市部の街) から出て行くのはかなり難しいことだっただろうね。でも、彼は、ロニーは逆境に打ち勝ったんだ。” ウォーカー三世はそう話した。“目的はいつでも、彼の人生をより良いものにしていくことだ。私はいつも彼に、柔軟な発想をするように働きかけていたんだ。そのおかげかどうかは分からないけど、彼が精神的に限界に陥るということは無いんじゃないかな。”
根掘り葉掘り聞くことは、ロニーが人生を生きて行く上で大事な装備のような物だ。“彼は面白がってそうしてるわけじゃなくて、子供の時から自分の人生の幅を広げたいというヴィジョンがあったんだよ。偏見を持たずにね。” ウォーカー三世は言った。“何か質問するということは、彼自身しっかり物事を理解しようとする方法なんだよ。” この知的好奇心は、コート上では特別な物になる。自由な発想は彼がフリースタイルに通じたプレイをする理由だ。ボールハンドリングとシューティングは彼が毎日力を入れて取り組んでいるもので、素晴らしいショットクリエイションをできることが、彼が次のレベルに到達するのに必要であると自分で分かっているからだ。ロニーはNBAドラフトエントリーを表明した4月の初め頃にはすでにNBAで通用するようなフィジカルとパワーを身につけていた。まるでiOSをアップデートするように、今までのロニーとは別人になった。バスケットボールが仕事になった今、彼を見れば一目瞭然だろう。
“マイアミにいた時よりも、優れたプレイヤーになってるよ。怖いくらいね。” ロニーはそう言った。“昔のLonnie Walkerをぶっ壊したい。”
世界がどういう役目を持つのか、という課題に対する昔のロニーの意見にも彼はこれから挑戦して行くことだろう。
アダム・フィッシャーは2016年の11月、ロニーからの驚きのテキストを受け取った。それはウォーカーがマイアミ大学とサインするちょうど1週間前の出来ことだった。
“コーチ、僕はone-and-doneプレイヤーとしてどう思う?”
彼らはバスケットボールについて話をすることは稀だし、ロニーからナショナルジオグラフィックのことではなくそのテキストをもらったのは多少なりとも驚いた。けれども、もはやすぐにでもD1でプレイできる事実、そしてそう遠くない将来、プロとしての可能性があることもロニー本人が受け入れていることは明白だった。
しかし、去年の三ヶ月間、その可能性の塊である彼は大変な危機に陥った。2017年の8月、木曜日のマイアミ・ハリケーンズの練習中の、たった10秒くらいのことで、ロニーはアウトレットパスをなんとか受け取ろうとした時のことだった。右膝がおかしく曲がってしまい、彼はフロアに倒れ込んだ。マイアミ大のトレーナーであるJavier Jimenezはすぐさまロニーのところへ向かい、フロアの外に連れ出し介抱した。診断結果は明らかだった。半月板断裂。ロニーは3ヶ月バスケットボールをプレイできなかった。
“嘘はつかない、本当に塞ぎ込んでたよ。” ロニーは言った。“グランマと話した。1時間くらい話したかな。僕たちは夜になれば祈って、朝もまた一緒に祈った。”
ララナガはロニーが今から登らなければならない険しい山のことを心配した。シーズンのtip offに、精神的にも身体的にも出遅れると思ったからだ。一方で、フィッシャーACは彼のモチベーションを上げる方法をとった。彼はロニーに2つの選択を提示した。1つは、怪我に落ち込み、このまま塞ぎ込み続けること。もう1つは、「とある事」を始める良い機会とすることだった。その「とある事」とは、彼が高校まではあまり取り組んでこなかったことで、彼の膝のリハビリの間にするにはちょうど良い事だった。それは「フィルムを見る事」だった。それを受け入れるのはロニーにとって本当に簡単なことだった。なぜならビデオはいつもロニーにこの大きい世界のことを教えてくれるツールだったからだ。この時から、ロニーはフィルムから自分自身のことを多く学ぶようになった。彼らは高校時のフィルムから色々と集め始め、NBA選手のビデオを見ることもあった。
“僕らはよくヴィクター・オラディポのプレイを見たよ、彼は自分と似ているところがある。どちらも爆発性のあるガードなんだ。” ロニーはそう言った。“僕らはクレイ・トンプソンと彼のタッチ、彼の身長でシュートするスキルもよく見ていた。C.J.マカラムもよく見た。マイアミ大学が4アウト1インサイドの編成でPick-and-rollから攻める戦術だったから、彼の滑らかな動きや試合での役割は、とても勉強になった。”
その怪我は夏の間に起こったことだったので、なんとかプレイできるところまで持っていった。けれども開幕直前の時点では、ロニーはプレイする準備ができているつもりだったが、体はまだ本調子では無いように見えた。ララナガは彼を7 thマンとしてローテーションに入れて、かつ時間も制限してプレイさせた。それにも関わらず、彼が本物のスター選手であることに気付くのにそう時間はかからなかった。実際にACCでの試合が始まると、ロニーはコーチらが期待していた通りの成長をしていないことは明らかだった。なんとコーチの予想など遥かに超えてしまっていたのだ。皆が皆、ロニーの身体能力の高さで彼が目立つことを予期していたが、実際にはそうでなく、彼の攻撃的すぎるくらいの「自信」がリーグを驚かせた。スタッツだけ見るとそうでもないが (一試合あたり13.6 points、2.3 reb、2.3 asists、1.1 steal)、ゲーム終盤に見せる彼の積極性と自信、度胸はスター選手のみが持ち得る素晴らしいものだった。
“ロニーは大舞台でシャイになるような人間ではない、真逆だ。” ララナガは語った。“彼は私のコーチ人生の中でも一握りしかいなかったタイプの人間だ。ゲームを勝利に導くショットを驚くくらい自信を持って打つことができるのだ。”
1月のルイジビル大学との一戦では、残り5秒以下に迫る場面で、同点に追いつくアクロバティックなレイアップを決めている。さらにその試合のオーバータイムでは、勝利を確実にもたらしたブロックショットを決めた。2月のヴァージニア工科大学戦でロニーは14点をとったが、4Q残り4分以下でそのうちの8点を決め、チームを勝利に導いた。シーズン終盤にもう一度ヴァージニア工科大学と対戦した時にも、残り1分という大場面でベースラインからフェイダウェイジャンパーを決めた。もっとも有名なものは2月の24日、マイアミ大学とボストン大学のゲームだ。実はここ数試合、スターティングPGのブルース・ブラウン (Bruce Brown : 現Pistons) が怪我で離脱していたのだが、それにも関わらず、マークが厳しい中でロニーは決勝点となるフェイダウェイのプルアップスリーを決め、チームを勝利に導いた。
Brownが離脱している間、高校の時からチームのリーダーとしてやってきていたロニーは、周りが期待する通りにリーダーとしてチームを引っ張った。マイアミ大学はNCAAトーナメントに出場したが、一回戦のロヨラ大学のシンデレラストーリー (注目されていなかったロヲラ大学がFinal 4まで進出し、今大会を代表するMarch Madnessだった) の前に散ってしまった。ロニーは奮闘したが、なんと大事な場面でターンオーバーを犯してしまい、大事なフリースローをミスし、アップセットを許してしまったのだ。彼のこの悔しいカレッジキャリアについて想像するのは容易いことではないだろう。
LOYOLO pic.twitter.com/CkcEfulFV9
— CBS Sports (@CBSSports) 2018年3月15日
ペレスは彼を高校の時から全て見ているが、一つも心配ごとは無かった。ペレスは将来のスター選手が 7 th grade (日本の中学1年生) でトーナメントに出ているのを見た時から、どんな時でもロニーが落ち着いていることに気が付いていた。またペレスはロニーが同じミスをもう一度することが滅多にないことにも気が付いた。“ロニーはイライラしたりストレスで参ったりということはないんだ。私がロニーを怒らせようと思ったら本当に骨が折れる作業だろうね。彼はいつも軽く笑いながら言うんだ。‘コーチ、それはそんなに重大なことじゃないよ。…僕ならなんとかできる。’”
ロニーのマイアミ・ハリケーンズでのフレッシュマンシーズンは彼の望んだ終わり方では無かったものの、彼がしてきたことの素晴らしさはACC ALL-Freshman Team (Marvin Bagley、Wendell Carterに次いで僅差で3位)と、All-ACC team特別賞を受賞したことからも分かるだろう。怪我があって、奮闘しなければならない場面も多く、トーナメントではすぐに姿を消すことになっても、スカウトらの意見・立場は変わる事がなかった。ロニーの一巡目指名評価は変わらなかった。疑い様のないOne-and-doneプレイヤーだ。
ロニー・ウォーカー三世はThousand Oaksのスポーツアカデミーの観客席に座って、自分の息子が3ポイントシュートを打つのを見ていた。彼の前の列には、髪をいつものようにきちんと整え、コートサイドの折りたたみ椅子に座るパット・ライリーの姿もあった。釘付けになっているように腕を組みコートを見ていた。コートの左の方の一列目には、黒と白のトラックスーツを着たレイカーズのマジック・ジョンソン、その隣にはコートを見つめるロブ・ペリンカの姿もあった。ジェリー・ウエストもそこにいた。いつものスーツ姿ではなくナイキの青いジャケットを着て目立っていた。
彼らの周りには多くの人間がいた。他のNBAチームのGM、コーチ、エージェント、レポーター、そして140人ほどのスカウトたち。この Pro day で1人の選手が注目を浴びるのはほんの僅かな時間だ。ドラフトのロッタリーから最後の方まで、期待の数だけ選手がいて、皆が皆、誰かの目に止まることを望んでいる。
けれども、ウォーカー三世はずっとロニーだけを見ていた。独り言のように自分の息子の workout について話していた。“ロニーは左から行くのが好きなんだ。” ウォーカー三世は言った。“左から攻めれば、ロニーを止めれるヤツはいない。” コートではちょうどロニーが3PTを3本連続で決めていた。
ここにいる全ての人間の中で、ウォーカー三世よりもロニーのバスケットを愛している人間はいないだろう。彼はそれを偏見だと認めるだろうし、他の期待のドラフト選手たちに対して称賛もするだろう。けれども彼は、自分の息子がドラフト選手の中でトップレベルのスキルセットを持っていることを豪語するのをやめない。
“ヤツは7フッターか?ノーだ。ヤツはハミドゥー・ディアロのように飛ぶことができるか?ノーだ。だがヤツはジャンプショットを決められる、自分のショットを打てる。クラッチタイムで輝くことができるし、ディフェンスもできる。” ウォーカー三世の熱弁はしばらく続いた。冗談交じりでこんなことも言った。
“もしロニーがNo.1ドラフトされなかったときはテーブルごとひっくり返してやる!あんたドラフトは俺らのテーブルを見ててくれ!”
残念ながらウォーカー三世にそのチャンスは訪れない見込みだ。それは2018 NBAドラフトが新しいフォーマットに変更になったことに関係する。フェニックスサンズのNo.1セレクトが発表になる前に、green-roomメンバーはステージに登り、全世界に紹介される。その時、Green-roomメンバーたちは家族と共にステージを歩かなくてはならない、つまりウォーカー三世もロニーの後ろからステージを歩くのだ。その瞬間はウォーカー三世にとって大事なことを思い出させる小さなきっかけになるだろう。それは、自分の息子を教え導いてきた過程で何度も経験し、信じてきたことだ。それはマジック・ジョンソンやジェリー・ウエストのようなレジェンド達に会った時に、彼らが、ロニーが如何に素晴らしいか話してくれたこともその経験の一つだ。それはバスケットボールプレイヤーとはまた別の、1人の人間としての素晴らしさだ。大事なのはドラフト順位ではなく、人間としての素晴らしさだということ。それが信条だった。
“自分と父は、よくNBAについて冗談混じりで話していた。それは、普段の人が月に立つような感じと同じさ。‘私は月に行くんだ。私が無事たどり着けるよう、精一杯祈っておいてくれ。’” ロニーは言った。“僕らの間ではこうだ、‘NBAに行くのが待ちきれないよ。’…どちらも同じで、口には出すけどそこにたどり着けるのは本当に限られた人間だけだ、と頭では理解している。けど、今。自分が、ここ。月に立ってるようなものだよ。紛れもなく、僕自身がね。”
けれども、勇敢な探検家のように、彼はNBAを山の山頂、最終到達地点だとは考えない。むしろ、今まで築き上げてきた自分の知識に基づいて、月並みな方法でこなして行くだろう。自分が開拓した土地に人々が住み始める前にはすでに、ロニーは次のフロンティアのことを考えている。
彼の世界に向けた関心、とりわけ発展途上国に対するそれは、決して自己探求心だけではない。ロニーは自分の考えを行動に移したいと思っている。まずは出身地のレディングに本や学校の必需品を子供達に提供し、ゆくゆくは“レブロンのように” 奨学金も始めたい、と話した。アフリカやその他の助けが必要な地域にも範囲を広げていって、水を運び、学校を建て、家、教会も建てたい。“世界を変えたいんだ、どうにかして、何としても。” ロニーは言う。彼の父もそれらの可能性を否定しない。“ロニーが何をしようが、それはゆくゆく人を助けることにつながると思うよ、” そうウォーカー三世は語った。“ロニーは父である自分すらも助けてくれた。ロニーを見てると、素晴らしい人間でいたいと心のそこから思わせてくれるんだ。”
そしてついに、ロニーはNBAの世界に足を踏み入れる。けれどもすぐに、第二の月、次の舞台は、すぐそこに迫っているのだ。
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以上です!ありがとうございました!
スパーズの最近とデンジャラス・シューティング・ラインナップ
スパーズはホームでLALに最後に勝ったくらいから勢いがすごい。
ツイートもしたけど、改めて
12/22現在、
3PT% リーグ1位
FT% 1位
ファウルの少なさ pp/100 1位
ターンオーバーの少なさ pp/100 1位
AST/TO 1位
オフェンス効率 5位
しかも試合数(33試合)はNBA4位の多さでウエストではペリカンズとジャズと同率で1位。大変なスケジュール。
オフェンス効率に関しては、11/18からNBAでずっと1位。まあこれは色々思うところはありますが。
問題のディフェンス効率も一次29位まで落ちていたものが19位にまで上がっている。ディフェンスの改善、これは点数にも、ただ試合を見ているだけでもわかる。ベルタンズがかっこいいことを言っていたので紹介しようと思ったけどソースを失念。なんか、全員がやるべきことをやり、お互いを信頼しているからディフェンスが向上している、という内容だったと思います。ウィギンスも今日のスパーズのディフェンスを称賛していた。
ウィギンス「フロアのどこにいても、彼らはチームとしてプレイしていた。チームディフェンスだ。彼らはお互いに助け合っていたんだ、今日の敗因はそれだ。」
Andrew Wiggins on #Spurs: "On both sides of the floor, they played together. Team defense. They're helping each other, that's the main thing."
— Tom Orsborn (@tom_orsborn) 2018年12月22日
ここ8試合だけ見ると、なんとオフェンス効率もディフェンス効率、どちらもリーグ一位という意味がわからない結果に。大敗が続いていた時にはこんなことは予想もしなかった。けど調子が悪い時もTO%とかFT%は高い水準を保っていたのを見ていたので、選手がチームをしっかり信頼していた証拠だと思って見てました。言ったもんがち。時間はかかってもコーチのことを信じた選手たちの勝ちですね。少しでも疑ったのを反省。まだシーズン半分以上残ってるからわからないけど。
個人スタッツでは、3PT%で、
リーグ1位 ベルタンズ
7位 ルディ・ゲイ(ちょっと落ちた)
18位 フォーブス
27位 ミルズ
という好成績。ここには入らないけど最近のベリネリもやばい。
個人的に試合を見ていて面白いのは、2Q序盤に起用されるアレ。フォーブス、ミルズ、ホワイトのうち2人とベリネリ、ベルタンズ、パートルの超シューティングラインナップ。これはプレシーズンからちょっとだけ起用していたので最初から構想内だったんだと思うけど、早めのペースから3PTを降らせるこのラインナップは見ていて面白い。ハマれば超火力。実際スタッツだけみると、オフェンス効率がバカ高い。写真は4人ラインナップの時のオフェンス効率1位と2位。
もう少しデータが蓄積したらプラスマイナス等見たいと思っています。こう書くとすごいチーム、戦術のように思えますが、実際シュート入らなかったらやばい。クリエイトできる人材が全くいない。ランドかショーンが、「Its dangerous, dangerous lineup.」と言っていたけれど、ディフェンスが良いわけでもなく長時間起用するのは本当に危ないと思います。実際ポポヴィッチもそれをよく分かっていて、オフェンスが少しでも停滞したり、ミスが出たりするとすぐにデローザンを投入している。うまくいけばオルドリッジ、ゲイ、デローザン三人休めるからとてもありがたいけど、ポポヴィッチは危ない橋は渡らない。ただ当たった時の火力はものすごく、MIN戦もORL戦も2Qのこのラインナップで点差を離していて見ていて面白いです。パスめっちゃ回るもん。これが「デ(ンジャラ)ス・ラインナップ」というやつです。